アイコン みんなの党 再分裂の可能性 浅尾×渡辺の新旧党首会談決裂

みんなの党の渡辺喜美前代表も齢はすでに還暦も過ぎ62歳(1952年3月生)。親父は正式な大臣ポストを2つもゲット、副首相まで上り詰めた。
親 の生き様もわかる年齢、正式な大臣ポスト(善美氏は過去、内閣府特命担当大臣(規制改革)、内閣府特命担当大臣(金融)のポストを歴任しているが、大組織 を構えたポストではない)が欲しくてならないようだ。叶えられるならば、親父を越え、首相に就きたいというのが本音だろう。しかし、自ら招いた分裂や政治 資金問題、党内さえまとめきれず、力と利権だけの政治の世界で何ができるというのだろうか。
渡辺喜美代表は、党の幹事長である江田憲司議員と対立して昨年8月、江田氏を解任し、江田氏はその後、取り巻きを引き連れて独立して分裂した。

猪瀬都知事を東京都知事の座から引き摺り降ろした政治資金問題で、天下の公党の党首である渡辺喜美前代表はなんと猪瀬都知事の10倍以上の問題が発覚、その政治資金問題の責任をとり、自ら跡継ぎに浅尾慶一郎議員を指名して、代表を辞任した。
江田議員を解任して早1年を経過、政治資金問題も今日まで何のお咎めも無く、すでに禊は済ませたとばかりに、再度、自論を浅尾慶一郎代表に対して展開した。しかし、大人気なく、江田幹事長のときと同じように決裂したという。

みんなの党の渡辺喜美前代表は13日、栃木県下野市で講演し「与党再編には色んな段階がある」と述べて5つの事例を示した上で、与党との協力関係構築を訴えた。
党執行部は「与党再編」に消極的で、路線対立が改めて浮き彫りになった。
 渡辺氏によると、
「与党再編」の第1段階は是々非々で国会対応する「責任野党」になること。
第2段階は政権と対話し政策の実現を目指す「戦略対話」、
第3段階は国会対策で与党と足並みをそろえる「与党国対」と定義。
第4段階では副大臣や政務官、第5段階では閣僚を出す。
として、「野党再編に走るなら浅尾慶一郎代表には辞めていただきたい」と改めて辞任を迫っていた。
一方、浅尾氏は12日「みんなの党の主張は『既得権との戦い』。与党再編とは一線を画していくというものだ」と述べていた。

9月16日夜、みんなの党の浅尾×渡辺の新旧代表会談が行われ、浅尾氏は「明確に路線が違う。渡辺氏が党を出て行くのは仕方がない」と事実上、離党を勧告した。
それに対して、渡辺氏は「私が創業者だ」と拒否し、両氏の溝は一層広がった。(公党の私物化の顕著な例。)
 浅尾氏は会談で「与党の下請け機関になることは有権者への裏切り」と渡辺氏を批判。逆に渡辺氏は、野党再編を目指す浅尾氏に「トップの器量の問題だ」と反論したという。

 渡辺氏は、ここまで至る過程で、どうして、みんなの党に合意形成を求め討議を重ねるという対応を真摯にしてこなかったのだろうか。8億円政治資金問題でそれどころではないにしても、党是にかかわる問題であり、創業者など過去の遺物をいくら振りまいても屁のツッパリにもならない。たかが30~40人でも纏められない器の小ささを露見させているだけのようだ。
 親父が首相に上り詰められなかったように、息子も同じ轍を踏むようだ。なお、みんなの党には甥っ子の議員がいるが若くこれからであり、彼に望みを託すしかないようだ。。
 

[ 2014年9月17日 ]
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