アイコン 韓国外交 米中に板ばさみ

経済体制は同じハゲタカの新自由主義経済の米国と中国でありながら、政治体制ではまったく異なる敵どうし。

来 韓中の中国の劉建超外務次官補は16日、外交部で李京秀次官補との会談後、米国の最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」の韓 国配備問題について、「中国側の関心と憂慮を重要視してもらえるとありがたい」と述べ、暗にTHAADの韓国配備に対する中国側の強い懸念を表明した。

も一つの難題
中国が主導する国際金融機関「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)への韓国参加については「韓国が設立メンバーになることを望んでいる」との立場を再度表明した。
中国側の要請に対し韓国側は、経済的実益を総合的に考慮し決定すると答えるにとどめた。
中国がAIIBへの韓国参加を望んでいるのに対し、米国は否定的な態度を示している。設立メンバーとして参加するためには、韓国が今月中に結論を下す必要があるが、経済的実益だけでなく米国のけん制の動きも考慮しなければならず、難しい判断を迫られている。そうした中、アメリカの盟友イギリスがAIIBへの参加を表明した。

<米国から国務次官補>
劉建超外務次官補と時を同じくして、米国から米国務省のラッセル国務次官補(東アジア・太平洋担当)が16日来韓した。暴漢に襲撃され負傷したリッパート駐韓米大使を見舞うほか、韓国外交部の李京秀次官補らと協議する。その協議内容が注目されている。

以上、
今の韓国は李承晩時代に似る。
李承晩は、終戦末期、中国や米国にいて反日亡命政権を創設し闘争を続けた。日本敗戦後、李承晩は政権の座に着いた。
1948年(昭和23年)8月、朝鮮半島南部単独で大韓民国建国。初代大統領に就任した。
1950年6月、北朝鮮から共産軍(北朝鮮軍・ソビエト軍・中国軍)が南朝鮮に侵攻し朝鮮戦争勃発、国民をさておき、ソウルから一番先に釜山まで逃げたことで知られている。
米軍や西側連合軍が共産軍を押し戻し、朝鮮戦争は終結した。
アメリカ軍はマッカーサーが指揮した。
1952年(昭和27年)1月18日、李承晩は対馬から日本海にかけ李承晩ラインを設定し、日本領域の日本の島となっていた竹島を強奪、ラインに進入した日本漁船次々拿捕し漁船を強奪、日本漁船員が殺されたりもした。

マッカーサーは、こうした動きを無視し暗黙の了解を与えた。それは、李承晩が反日主義者ながら、米国留学経験も持ち、撤退した反共主義者でもあったことによるもの。
マッカーサーとしては北朝鮮がいつ再度攻撃してくるかわからず、また、韓国内政治的に安定しておらず、強権の李承晩を米国の軍事統治上利用した。

李承晩は、1948年の済州島民大虐殺の四・三事件の黒幕でもあった。また、1950年には自国民約20万人を大量虐殺するという保導連盟事件を取り仕切った。
李承晩の政治に不満を持つ者に対しては、すべて共産主義者のレッテルを貼り、国民を大弾圧した。それをマッカーサーはひどく気に入っていた。韓国内での問題の芽を大幅に減らしてくれたらであるが、2人はS仲間でもあったようだ。

この時代に、今の韓国は良く似ている。
その時と共通した反日の動き、それに、アメリカに付くか、経済で蜜月時代を築いている中国に付くかの違いだけとなっている。習近平は当時のマッカーサーのように仁川空港に降り立った。

朝鮮5千年の歴史は常に中国との関係下にあり、中国の属国関係にあった時代が何千年も続いてきた。その歴史は100年そこらの短時間では短かすぎ、その体質と中国への愛惜から、再び韓国は、中国傾斜へ自ら駒を進めようとしているようだ。
グローバル化が進み、政治だけでは生きられず、経済だけでも生きられなくなっている。

中国政府の本性は、国民の政治的自由を100%認めない絶対的な権力集団であり、共産党とは名ばかりで組織運営術を利用しているだけに過ぎない。
 

[ 2015年3月17日 ]
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