アイコン 日本の製造がなぜ衰退したのか

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日本の製造業が今のような段階的困難に直面したのはなぜだろうか。日立に16年間勤め、現在は京都大学や東北 大学で非常勤講師を務める湯之上隆さんは、著書「日本型モノづくりの敗北 零戦・半導体・テレビ」の中で、日本の情報技術(IT)製造業の数十年にわたる栄枯盛衰の歴史を振り返り、日本の製造業から得られる教訓として次の4点を 挙げている。

1つ目は、10年を一つの周期とする新技術の波に直面して、市場のチャンスに対する敏感さを失い、昔のやり方で古いものを守ろうとし、チャンスを失ったこと。

2つ目は、性能と指標を過酷なまでに追求した結果、市場の実際のニーズのレベルを軽視し、必要のないコストを投入し、市場に変化が起きた時に研究開発の中で速やかに製品の調整を行えなかったこと。

3つ目は、職人的な精神や技術者の技能に頼りすぎ、製品の標準化と汎用化をおろそかにし、低コストで大量生産する能力が圧倒的に不足していたこと。

4つ目は技術の流れの転換に直面して、日本の企業制度はひどく硬直化し、技術変革の流れに対応できなかったこと。

イノベーションの道は容易なものではない。どうすれば時代とともに歩み、列から脱落しないで済むだろうか。湯之上さんは著書の中で日本の製造業の危機のもう一つの原因に言及して、「先進的な技術に対してこれまで得意としてきたイノベーションを模倣する精神を欠き、反応が鈍い」と指摘しており、これはまさしく中国が自戒すべき点だ。

また、湯之上さんは、「イノベーションの要素を模様することを改めて重視し、自身の技術の総合的な強みを発揮する」ことを呼びかけており、これもまた中国が同じように重視しなければならない点となっている。

日本の製造業の興亡史を振り返ると、4つの時期に分けることができる。
第1の時期は明治維新から第二次世界大戦までで、日本が「砦にこもる」ことを中心としていた時代。当時の日本製品は中国で「東洋製品」と呼ばれていたが、この時期に日本は近代化の道を歩み始めた。

第2の時期は第二次世界大戦終戦から1970年代までで、模倣を中心とした時代だ。日本は経済が壊滅した敗戦国から経済の巨人へと発展を遂げた。

第3の時期は70~90年代で、イノベーションが中心だった時代だ。「メードインジャパン」が世界の舞台に登場しただけでなく、次々に神話を生み出し、日本は一躍、米国に次ぐ世界2位のエコノミーになった。

第4の時期は90年代以降で、これまでのやり方に固執し古いものを守ろうとする時期だ。模倣にこもることをよしとせず、日本の製造業は頂上から転落して危機に陥ったにもかかわらず、日本企業はいまだに「背水の陣を敷き、あらゆる努力をしてマイナスをプラスに転じ、企業の生き残りをはかる」という現実逃避の心境から抜け出せず、徐々に他国に追いつき、追い越されている。

日本の製造業の危機には、湯之上さんが著書で指摘するような原因があるが、実際にはより複雑な原因がある。
国内外の金融通貨政策、労働力市場、文化的心情、さらには国際政治の局面などとも密接な関係がある。客観的にみて、「メードインジャパン」の市場での影響力は今でもなお大きく、技術の研究開発水準とイノベーション能力は引き続きトップレベルであり、世界の製造業の産業チェーンは日本抜きには語れない。

老子が「形よりして上なるものこれを道といい、形よりして下なるものこれを器という」というように、日本の製造業の問題は「道」にあるのではなく「器」にある。
器の問題は主に自分の殻に閉じこもることが原因で、具体的には技術の研究開発のレベルとイノベーションの方向性が、消費の流行、ビジネスモデル、市場開拓の能力とつり合わなくなることに体現される。
また米国や韓国や中国のイノベーションを模倣することもしないといった形に現れる。
これではインターネットに関連した画期的な製品を生み出すことができないばかりか、ネット時代の歩みに追いつくこともできなくなる。

中国製造業が勃興した主な原因は、
大きなこととしては改革開放があり、
小さなこととしては日本の4段階の最初の2つの段階のように、模倣からイノベーションを起こして成功を収めたことにある。

中国の製造業が日本の90年代後の工業化された消費時代のようなピークを迎えられるかどうかは、日本のようにイノベーションを模倣する中で超越を果たせるかどうかにかかっている。
だが、良い技術と良い製品、良い市場とは、必ずしもイコールではない。技術には安定性と直線性が必要で、製品と市場には可変性と曲線性が必要だ。

よってイノベーションにおける超越を実現できなくとも、イノベーションを模倣し続けさえすれば、製品と市場で一定の場所を占めることができる。

イノベーションにおける超越を実現しても、製品や市場において常にイノベーションの超越を実現できなければ、市場を獲得し、トップの座を維持することはできない。
製造業の栄光と衰退の歴史の中で、日本は何に成功し何に失敗したのか。こうした点は、工業のインターネット時代に追いつき、これを追い越そうとしている中国企業にとって啓示的な意義があることは明らか。

中国と日本は、文化的な中核で、ともに儒教の「中庸」の思想の影響を深く受けており、思い切った手を打つことを良しとしないことが多い。
そこで、中国と日本の文化には、何かに強く「固執」するという面がみられ、自由やイノベーションの能力という点で欧米にかなわない。
日本は世界にその名をとどろかせる「模倣の先輩」から徐々に「自分の殻に閉じこもった存在」になっていった。これは実力の変化にともなって「固執」の心理が働き、それが発酵した結果だといえる。

中国は今や世界2位のエコノミーであり、中国国民の心情も変化のさなかにある。日本の姿は私たちに警告を与えてくれる。
以上、人民網より

中国は、こうして日本を学習している。学習することこそ、明日への原動力となる。
アメリカ一辺倒の近視眼的視野で見ることを続けた日本はそれを怠った。その結果、コストさえ下げたら儲かると錯覚し、全部海外へ工場を移転させてしまった。大工場など、今や日本に建設する企業もなく、海外に製造業の活路を求め続けている。
逆さに言えば、日本の製造業は海外でちゃんと生きているということだろうか。ただ、過去栄光を極めた電子、電化製品はすでに衰退してしまっている。
 

[ 2015年10月26日 ]
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