
公共事業は法に叶い,理に叶い,情に叶うものであれ,そして誠実であれ!
行政代執行の“倫理と法”──住民を力で排除することは許されるのか
行政代執行とは、
行政が住民の土地・建物を強制的に排除し、撤去し、排除を実行する 国家権力による物理力の行使 です。
これは「行政手続き」の一つではありません。
“民主主義が最も慎重であるべき行為”です。
なぜなら、それは
行政が住民に対して暴力性を帯びる唯一の領域だからです。
13世帯50人が暮らす石木ダム予定地で、この最終手段が現実味を帯び始めた今、
あらためて問う必要があります。

【1】行政代執行は「最後の最後の手段」である──はずだった
日本の行政法では、行政代執行はこう位置付けられています。
• 違法状態がある
• 他の是正手段では解決できない
• 代執行を行うことが「著しく公益に適う」
• そして、住民の生命・身体に著しい危険をもたらさない
つまりこれは、どうにもならない場合の“最終中の最終手段” です。
行政が住民と向き合い、対話をし、説明し、それでもなお自治体としての責務上避けられない場合に限って許される行為。
ところが石木ダムについてはどうでしょうか?
• 必要性の議論 →「今さら論じる段階ではない」
• 再検証 → 行われない
• 住民への説明 → 回避気味
• 代替案の模索 → 実績なし
• 行政としての努力 → 住民側は「ほぼ感じられない」と証言
この状況で「他の手段を尽くした」と言えるのでしょうか?

【2】倫理の観点から見れば、行政代執行は“権力の暴力化”でしかない
倫理の世界では、こう考えられます。
「他者の生活世界を破壊する権限を持つ者は、
その権限を行使しないために最大限努力する義務を負う」
石木ダムの行政代執行は、
住民の生活そのもの──住居・農地・先祖伝来の土地・日常の営み──を物理的に消滅させる行為です。
これは金銭補償で埋められる問題ではありません。
存在の根拠を奪う行為 に等しいからです。
大石知事に問います。
行政は、住民の暮らしを「撤去」してよいという倫理的正当性を、どこに見出しているのですか?
【3】法の観点──行政代執行は“形式的には合法”でも“民主主義的には不当”になり得る
行政代執行法に照らせば、
手続きを踏めば合法です。
しかし、「合法=正当」ではありません。
かつての成田空港では、
行政代執行が住民の大きな怒りと社会的な分断を生みました。
形式上は手続きに従っていても、
日本社会はそれを「正義の行使」とは見なさなかった。
石木ダムでも同じことが言えます。
法律は、行政に代執行の道を“許す”だけであって、
“勧める”わけではない。
さらに行政代執行の前提には、
「できる限りの任意履行の努力」
「真摯な対話」
「代替案の検討」
が必須です。
しかし、現地住民の感覚としてはどうか?
• 話し合いは形だけ
• 答えない説明会
• 50年前の計画のまま前進
• 行政が住民を“障害物”のように扱う構図
この状態で、「対話を尽くした」と言えるのか?
これは法的にも重大な疑問です。
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次