
現職の大石候補の応援演説に立つ外間議長の公正さはどこで壊れたのか
議長が選挙応援に立ってはならない、たしかに、そんな条文は、どこにも書かれていない。
だが、それをもって「問題はない」と言い切るなら、議会という制度を、あまりに軽く見ている。
議長の中立性とは、法律で細かく縛られるものではない。
慣例、常識、そして信頼、そうした“書かれていないルール”の上に成り立っている。
だからこそ、議長が特定候補の応援演説に立つ行為は、たとえ一言も政策を語らなかったとしても、強烈なメッセージを放つ。
「議会の長は、こちら側に立っている」

それだけで十分だ。
選挙とは、立場の異なる陣営が、公平な条件のもとで争う場である。
その最中に、議会を代表する人物が一方の陣営のマイクを握る。
これは単なる“個人の政治活動”ではない。
議会という看板を背負った政治行為だ。
さらに問題なのは、それが「応援に行かなくても済んだ選挙」ではなかった点である。
議長という立場にある者は、選挙期間中こそ、意識的に一歩引くべき存在だ。
姿を見せないこと自体が、「議会は中立である」というメッセージになる。
しかし外間議長は、あえて大石候補応援という挙に出た。
しかも公的行事を犠牲にしてまでだ。
この瞬間、外間議長は“議会の象徴”であることを自ら手放したのだ。
そして皮肉なことに、応援した大石候補は落選した。
だが問題は、勝ったか負けたかではない。
一度壊れた公正さは、選挙結果では元に戻らない。
外間議長が越えた一線は、目に見えないが、レッドラインとして確かに存在していた。
その線を引いていたのは、法律でもなく、条令でもない。
長崎県議会が長年かけて積み上げてきた信頼そのものだった。
(つづく)
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次