アイコン 第11大栄丸/生月島を訪れて

第11大栄丸第11大栄丸の船体引き揚げは、この間新聞やニュースで報道され、多くのJC-NETの閲覧者の方もご存知と思う。

遺族の方々の懸命なる18万名にも及ぶ署名活動と石破農林水産大臣(当時)のご英断により、悲願であった船体引き揚げが実現した。9月22日から本格的な引上げ作業が開始され、引き揚げられた船体から既に8名の方が家に帰った。
なお、JC-NETの引揚問題記事につき、閲覧者の皆様方のご協力は、遺族の方々の悲願達成に大きな力となりました。ありがとうございました。

感謝。

小生も30日雨の中、生月島へ向かった。第11大栄丸の事故には自分なりに関わってきたことからも見ておきたかった。生月島では、亡くなられた方々のご遺族の方々とお話もさせていただき、ご仏壇に手も合わさせていただいた。
あるご遺族の方の家は、第11大栄丸の基地であった館浦漁港を見下ろす大きな観音像に抱かれたような場所にあった。そこでは「自分のところは帰ってきてくれてよかったが、まだ残っている人が・・・。残っている人がおられるのでそれが心配で、心配で・・・」と何回もお話しされた。
遺族会で熱心に署名活動をされていた方の家も伺わせてもらった。ご遺族は「まだ家には帰ってきとらん。どうなるか分からん。帰ってきて欲しいが・・・・」と言葉少なであった。

第11大栄丸は、深田サルベージにより22日から引き揚げ作業が行われ、大型クレーン船により4月14日の沈没以来その姿を見せた。その後船は台船に引き揚げられ捜索が開始された。沖合いから平戸の波穏やかな川内湾内(有名なホテル蘭風があるところ)に曳航されての作業であった。その結果29日までに11名の遺体を収容。しかし残る1名は不明のまま、30日その捜索は打ち切られた。
これまでに9名の遺体が確認されたものの、2名は確認できずDNA鑑定に回されている。家にまだ戻すことができない3名の遺族の方々の心労ははかるべくもなく、しかも1名の方の遺体は永遠に自宅に帰すことができない状況である。

以前JC-NETで掲載した兄を亡くされた妹さんのスピーチ文をレクイエムとして再掲させていただく。

「もう会えないけれど、ずっと見守って」

 私は今まで命のことについて考えたことがありませんでした。この14年間を何も考えずに生きてきたので、友達や周りの人に傷つけることをしてきたと思います。けれども、そんな私が最近、命のことについて考えるようになりました。
 それは、4月14日のできごとでした。その日の朝、私は熱が少しあり、学校を休もうかと考えていました。すると兄が「このくらい大丈夫さ。学校行けるってー」と、いつもと違う優しさで私に言うのです。兄は私の6つ上。年はそんなに離れていませんが、兄ということもあり私には優しくもあり怖い兄でもありました。そんな兄との会話はこれで終わりました。
 その日は、兄の乗る大栄丸漁船団の出船の日でした。風の強い日でしたが、変更はなく出航するようでした。私も兄の言葉もあり、普段通りに学校へ行きました。けれど放課後になり帰ろうとすると、突然担任の先生が車で送ってくださるというのです。そして先生が思いきったように言われた言葉は「兄ちゃんの乗っとる船が、事故にあったって」というひと言でした。不安に思いながら家へ入ると親せきの人がたくさん来ていて、私にも大変なことが起こったとわかりました。
 「なんかあったと?」という私の質問に答えたおばさんの言葉は、「兄ちゃんの船の沈没したらしか」というものでした。それを聞いた瞬間、私は信じられない気持ちでいっぱいでした。
 「ヒロ兄(にい)はどこにおると? 船の中におると?」と私が尋ねると、おばさんは「まだ詳しかことはわからんけど、船の中におるごたる」というのです。
 私はその言葉を聞いたとたん、涙がどんどんこぼれ落ち、話すこともできませんでした。
そして「なんで? なんでヒロ兄の乗った船が?」という思いでいっぱいでした。けれども一方で、ヒロ兄が死ぬはずはない、きっとどこかで助かっている、という思いも強くありました。
 その日から、テレビでも新聞でも事故のことばかり報じられていました。そのどれを見ても兄の姿が浮かんできて涙が出るのです。兄の船が沈んだ辺りまで行ったこともありました。
私はそこで兄に「早く帰っておいで」と心の中で何度も呼び掛けました。
 事故から2カ月が過ぎた今、私はいまだに事故が起きたことを信じられずにいます。兄はまだ20歳。つい何日か前まで一緒にご飯を食べたりテレビを見たりして過ごしていたのに、いなくなったなんて信じられません。ただいつも通り仕事に行っているだけで、あと少ししたら帰ってくるとしか思えないのです。
 でも日がたつにつれ、これが現実だと思うようになってきました。そして、兄に言いたいことが次々にわいてくるのです。
 「ヒロ兄、桃子はこれからいろんなことにあきらめないで頑張るからね。もう会えないけれど、これから先もずっと桃子の兄ちゃんとして見守っていてください。妹として何もできなくて、そして苦しいときに助けてあげられんでごめんね」
 こんなことを考えていると、命がなくなるというのはこんなことなのだと実感します。それは大切な人に、どんなに強く願っても二度と会えなくなってしまうということです。このことがあってから私は、あらためて身近にいる家族や友達のことを大切にしなくてはいけないと思うようになりました。「命」とはたった漢字一文字だけど、とても深い意味があることに、兄が気づかせてくれたのだと思います。
 今の私にできること。それは、1日1日が自分にとって充実した日々になるように、今を大事にすることだと思います。そして、1つしかない命を大事に、兄の分まで精いっぱい生きていきたいです。

以上、海底に眠るヒロ兄(にい)こと平松大嗣さん(20)への思いを語った妹の桃子さん(生月中3年)のスピーチ文。

合掌

JC-NETでは、今後も第11大栄丸(120t)と同じ館浦漁港所属で、19名を乗せたまま120mの海底に横たわる第7蛭子丸(重量80t)の引揚問題を提起していきます。

 

[ 2009年10月 1日 ]
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