アイコン 【雑記】ホセ・オルテガ・イ・ガゼットからの提言

『ある文明がデマゴーグ(民衆扇動家・マスコミ)の手に落ち込むほどの段階に達したら、その文明を救済する事は、事実上、非常に困難である。』 ホセ・オルテガ・イ・ガゼット

戦前、日本を狂気の戦争へ向かわせた戦犯の一つがマスコミ(新聞)であることは異論を待たない。(さらには、朝日記者の尾崎何某が、露西亜スパイの英雄であるリヒャルト・ゾルゲと共謀していたという件もある。)

 さて朝日新聞は、自ら「政府の方針」により戦争を煽った・・・と主張するが本当にそうだったのか?

政府が【北支事変に関する宣伝実施要領】を決定したのは、昭和十二年七月二十二日
ではそれ以前の朝日新聞記事を見てみよう。

「(盧溝橋事件について)今回の事件は支那側の挑戦的不法射撃によって発生せるものなること1点の疑ひもなく、 戦友中に死傷者さへ出した。我が将兵一同の痛憤もさこそと思はれる」(1937年7月9日付『東京朝日新聞』夕刊)

「信義を無視する支那軍は幾度か約束を破って我が方に挑戦してくる。しかもその兵力は刻々増大して何時いかなる重大事が勃発するかも知れぬ情勢にあるのだ。」
(1937年7月13日付『東京朝日新聞』)

「(停戦交渉における支那側の態度について)その調子のあまりに挑戦的であつて、必要以上に興奮状態に陥っているといはねばならぬ。 かくては平和破壊の責任は当然支那が負うべきであらう」
(1937年7月21日付『東京朝日新聞』社説「支那の挑戦的回答」)

「阪急、阪神、南海、その他駅々と盛り場を埋めつくしているのは千人針の戦時風景
▼こゝまで緊張した空気のみなぎつて来たことを考えても、日本人の祖国愛が目頭の熱くなるほどうれしくなる <略>
▼軍備を説けば直に主戦論と考えたがる単純さをまづ啓蒙してゆかなければならない。」
(1937年7月18日付『大阪朝日新聞』「天声人語」)  

参考:http://masanori-asami.hp.infoseek.co.jp/JP/ww2after/asahi_war_crime.htm

それより以前の、1933年の国際連盟脱退賞賛の記事を中学校歴史教科書で見たことがない人はいないだろう。

そして戦後、マスコミがどういう変移をたどったかは反省の色なしの各社を見れば一目瞭然。

同じ過ちを繰り返すのは、一度目は悲劇だが二度目は喜劇である。
あと数十年後、日本文明がまともな形で存在しているかどうかは皆さん国民次第・・・、というところか。

 

[ 2009年10月19日 ]
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