アイコン 唐突な高島市長 今度は福岡城建設へ 天守閣はあったのか?

高島宗一郎福岡城跡を本格的に整備するならば、百年の計で立案して欲しいものである。

高島君は、売れない埋立地アイランドシティに官庁ご用達建物計画を矢継ぎ早に打ち出し、建物大好きな利権長老議員や利権議員ばかりの福岡市議会では、何でもすぐ通ってしまい、もはや、福岡市の巨額借金のことなど、他国の話になってしまっている。
高島は、今では時代錯誤の桑原姿勢の再来かと揶揄する人までいるが、高島は借金を作り続けた桑原さんとは比較にならないほど尻が軽すぎる。

思いつきで何でもどんどん推進してしまうが、先般は議会にもはからず、たかが5億か10億円の商売をするぞと息まき、スパイだらけの中国から公務員の研修生を年間500名受け入れることを発表した。しかし、調子に乗り、軽率にも福岡市が持つ技術情報はすべて開示しますとし、例えに市単独の持ち物でもなんでもない海水淡水化プラント施設を上げた。そうした発言に対して、翌日の中央の新聞が、大丈夫かと掲載、ネットで大炎上。その時には既に高島君は中国へ渡っており、とんでもないことを約束してきたと思われる。帰国後大炎上を彼は知った(その時市で確認済)。

箱物は何でも利権長老議員たちが大喜びすることから直ぐ事が運ぶ。福岡城跡地も加速度的に開発話が進むと思われる。既に委員会まで発足させ、ナント会合3回で基本整備計画を作成するという。
その代表格の委員は、まず天守閣を作らねばと述べている。しかし、福岡城は、大昔からの記録に天守閣の存在の記録がなく、果たして天守閣があったかどうかも定かではない。
唯一記録があるのは、忍者が書いた簡単すぎるほどの絵が残っているだけと福岡城に詳しいJR九州の石井元会長が仰っておられた。
天守閣について、1646年に作成された福岡城を描いた最古の絵図『福博惣 絵図』には天守が描かれていない。西軍であったため、気兼ねして天守閣を造らなかったとされている。一説には解体して江戸幕府築城の材料に寄進したという説もあるが、何も明らかにされていない。

完全に観光地を目指すならば、福岡の百年の計において、観光都市化するというすばらしい福岡城観光案を以前からお持ちのJR九州石井元会長の話をそのまま実行することだ。
(総体では鴻臚館域も含めて約1000億円の事業費)

それにしても相変わらず高島は唐突過ぎる。
市長殿は、2兆円を有に超す市の借金のことなどトント忘れてござる。
 

[ 2012年8月31日 ]
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