アイコン 対馬仏像 盗人韓国仏像1体返還 韓国で所有者現れないことが理由

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長崎県対馬市の寺社から盗まれた仏像2体が韓国に持ち込まれた事件で、韓国検察は15日、1体を所有していた日本の神社に返還すると発表した。
 盗人し返還するのは海神神社の国指定重要文化財「銅造如来立像」。
韓国検察は「韓国で所有権を主張する人はおらず、盗難当時所有者だった神社が正当な権利者とみるのが相当だ」と返還理由を説明した。
像は大田市の国立文化財研究所に保管されており、日本側が受け取りにくれば、16日にも返還するとしている。

 「銅造如来立像」は、観音寺の県指定有形文化財「観世音菩薩坐像」と共に2012年10月に韓国人の窃盗団に盗まれ、韓国で押収され、日本側がユネスコ条約に基づき返還を要請したが、反日愛国の韓国にあり、条約を無視して返還していなかった。
 観世音菩薩坐像は、韓国の浮石寺が14世紀に造ったものと主張し、仏像を拉致したままにしている。
多久頭魂神社の仏教経典大蔵経の経典は、すでに韓国で隠したと見られる。盗人たちは、対馬の山中に捨てたと供述しているが、対馬島民たちが大掛りな捜索活動を何回も行ったものの、何一つ見つかっていない。

<史実>
韓国では、1392年建国した李王朝の3代目太宗時代から、支配体制に貴族の両班制度と儒教を利用し、廃仏崇儒として仏教を大弾圧、両班たちが各地の寺に火を放ち、仏像を叩き壊したり、両班たちの中には、仏像や経典を倭寇に叩き売ったとされている。

高句麗時代には、韓国全土に1万以上あった寺は、李王朝になり242ヶ所に限定、国家管理された。その後も弾圧が続き、6代目までに約50ヶ所に減らされたとされる。
それほど仏教弾圧は激しく、李氏朝鮮の儒教を背景とした両班支配政治は、日本が併合するまで続いた。
世襲制の身分制度で、奴隷だった賎民(奴婢・白丁など)が李氏王朝の約30%を占め、日本の植民地化により、日本はその賎民たちを解放したのだった。)

仏像、欲しければ取りに来いと、あくまで高飛車の限り。日本政府もなめられたものよ。
 

[ 2015年7月15日 ]
 

 

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