アイコン 吉田元首相「幻の訪韓」東京新聞報じる

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東京新聞が情報公開法に基づく本紙の請求で公開された外交文書を調べたところ、一九六五年の日韓国交正常化をめぐり、韓国側が交渉を進展させるため、実力者だった吉田茂元首相の訪韓を打診したのに対し、舌禍を恐れる日本側が拒否していたことが分かったという。

興味深いのは交渉実務者だった後宮虎郎・アジア局長が「日本が三十六年間統治したのだから、そのうらみが消えるには三十六年はかかると。合理的な線でまとめるには延ばすしかないと思っていた」という回顧の箇所。

結局は36年どころか1000年経っても恨みは消えないと現大統領が言い放ったわけで、韓国との国交回復はあと930年は早かったというオチ。

 

 

東京新聞:吉田元首相「幻の訪韓」 舌禍恐れ日本が拒否:政治(TOKYO Web)

一九六五年の日韓国交正常化をめぐり、韓国側が交渉を進展させるため、実力者だった吉田茂元首相の訪韓を打診したのに対し、舌禍を恐れる日本側が拒否していたことが分かった。情報公開法に基づく本紙の請求で公開された外交文書で明らかになった。 (編集委員・五味洋治)

 この文書は、当時の椎名悦三郎外相ら三人が舞台裏を語った「日韓交渉の回顧」(八十ページ)。椎名氏と交渉実務者だった後宮(うしろく)虎郎・アジア局長、柳谷謙介・北東アジア課首席事務官の三人が、正常化から四年後、当時を語った。文書は二十部作成され、「無期限極秘」扱いとされた。

 国交をめぐる日韓交渉は中断を挟み十四年続いた。最終段階の六五年に椎名外相が訪韓したが、その直前に韓国側は、政界に強い影響力を持つ吉田元首相の訪韓を水面下で要請していた。手詰まり状態だった交渉を打開するのが狙いで、米国も韓国に対して、親米派の吉田元首相と交渉するよう勧めていた。

 外交文書によると、後宮氏は、「吉田元総理は『朝鮮』という言葉を始終使われるし、『あの辺の鉄道はオレのおやじがつくってやったんだ』というようなことを口癖のようにいわれる」「そんな話を韓国でされたら(交渉は)ぶちこわしになる」と反対したことを明らかにした。

 国交正常化交渉をめぐる韓国側の厳しい姿勢から、後宮氏は「私の代に(正常化が)できるとは夢にも思っていなかった」と回顧し、「日本が三十六年間統治したのだから、そのうらみが消えるには三十六年はかかると。合理的な線でまとめるには延ばすしかないと思っていた」と語っていた。
 

[ 2015年8月21日 ]
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