アイコン 蓮舫氏祖母・女傑・陳杏村の黒い霧と意図的二重国籍説浮上

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世論調査で蓮舫氏に期待するが54%というのが新聞テレビで報道されているが、いつもの反日マスコミの偏向、捏造報道である。彼等はこうして、日本国民の目から真実を逸らさせ、間違った情報を垂れ流し、国民を間違った方向に誘導しようとしている。
2009年のあの悪夢のような民主党政権よ、今一度っていう奴である。

まさに「盲(めし)いたる民、世に踊った」4年間だった。あの悪夢のような民主党政権で3回も大臣を務めたのが、中国籍を持つ蓮舫氏だった。秀逸のブログ(農と島のありんくりん)を読んでみてください。

(農と島のありんくりん)
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-9e33.html

蓮舫氏祖母・女傑・陳杏村の黒い霧と意図的二重国籍説浮上
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がんばれ日本さん。戸籍欄の「中国」の意味は、そのとおりだと思います。
私は「中華人民共和国」と書かなかったところに、日本政府の「含み」を感じます。 
なんていうんですかね、日中台はこのようなあうんの「含み」で成り立っている部分があって、少なくとも中国はそれを暗黙の了解していたということです。 
ですから、尚更このようなデリケートな問題を、自分の保身と野心でつつきだしてしまった意識的な粗雑さがたまりません。 
「在日台湾人は中国の法の下にある」発言など、事次第で中国がこの「含み」を投げ捨てた有事の際、妙に生々しく蘇る可能性すらあると思って記事にした次第です。
まぁ、常識的にはありえないと思いますが、他国の主権下の在留公民と企業まで指揮下にいれてしまうというトンデモ法律を作る相手が相手だけに、ということです。
それはともかくとして、結局蓮舫という人は、「国家」という存在を根本的に理解できていないか、あるいは単に利用するべきものだと思っているのです。
蓮舫氏にとって日本とはただ利用するものであって、時には台湾、時には中国を天秤に乗せて、自分が巧みに利用していると思っているのでしょうね。 
さてその蓮舫氏に、ここにきて意図的に二重国籍を利用したのではないかとする説が浮上しました。

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謝哲信氏と蓮舫氏

 父・謝哲信氏が亡くなった時に、蓮舫氏には大きな遺産が残されたはずです。 
後述しますがそれもそのはず、謝氏は政商だった母・陳杏村の台湾バナナルートの日本事務所長のような立場だったからです。
巨額の金が謝氏の元にあつまり、黒い霧の中に消えていきました。
憶測の域を出ませんが、蓮舫氏が相続税を租税回避するために、台湾籍を捨てなかったとしてもそう不自然ではありません。 
というのは台湾は、日本よりはるかに相続税が安いからです。 
ここにも、彼女のもう一つの体質である、「違法ではないが、限りなく脱法に近い」ことをやってのける体質が現れているのではないか、と見る向きもあります。 

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蓮舫氏の祖母である陳杏村は、これはもう女傑、あるいは、女帝というにふさわしい存在でした。
戦時中に表向きのタバコ商の看板の裏で、日本海軍の裏工作であった阿片取引などに関わっていたとされています。


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ロッキード裁判に出廷した児玉誉士夫
当時日本海軍は米国などのタングステンなどの戦略物資の禁輸で苦しんでいました。しかし、哀しいかな軍人にはどうしていいかわかりません。
そこで白羽の矢がたったのが、大陸に様々なパイプを持つ右翼の児玉誉士夫でした。
児玉は、上海を拠点にしてこの裏工作に当たります。これが俗にいう「児玉機関」です。
児玉は、1937年、外務省情報部長河相達夫の知遇を得て、中国各地を視察し、翌38年には海軍嘱託となり、41年から上海で児玉機関を運営しています。
この裏工作の資金源が阿片密売でした。 
陳は、上海で児玉機関のための物資調達や、阿片密売の売り捌きなどに協力していたようです。
この阿片密売によって陳杏村は巨富をなし、児玉も戦後、日本に持ち帰った巨富を元手にして黒幕にのしあがっていきます。
では陳が単純な日本軍協力者かといえば、どうも違うようです。
状況証拠ですが、国民党政権のテロ組織であった青幇は漢奸(※裏切り者の中国人の意)狩りをして数万といわれる白色テロをおこなっています。
青幇の本拠地は上海にありました。
しかし、陳は日本軍に取り入って巨富を得て、しかも戦闘機を2機も贈るという派手なまねをしておきながら、結局、青幇の漢奸狩りからは逃げおおせています。
後に一度逮捕された際も、釈放されています。
疑わしきは容赦なく殺しまくった青幇にしては不自然です。
ここから、陳は実は日本軍協力者という仮面をかぶって、その情報を国府に流していたスパイではなかったのか、という疑惑もささやかれています。
中国情報サイト・サーチナはこう書いています。
「1945年、日本軍が降伏したのち、陳杏村は売国罪で起訴されたが弁護士に弁護を頼んで仮釈放となり、台湾に帰った。
台湾当局の裁判所は当時の社会的事情に迫られた事、国民党の地下工作と関係があった事の理由から「陳杏村売国事件」に無罪を言い渡した。」
この陳が戦後に手がけたのが、台湾バナナの日本輸出でした。
同じくサーチナはこう述べています。
「台湾に帰った後も、陳杏村は依然として実業と政治の世界で大いに活躍する名声赫々たる女丈夫であった。
彼女は大一貿易有限公司総経理、福光貿易株式会社社長、契徳燃料廠股フェン有限公司董事長を歴任し、更に台湾地区青果輸出業同業公会理事長を務め、台湾が海外に進出を果たす、とりわけ日本向けバナナ輸出貿易事業において主導的な役割を果たしたという。」
当時、バナナ貿易ほどボロイ商売はなかったようです。
日本人にとっては高嶺の花であるバナナは高価で売れ、しかも輸入枠があったからです。
ですから、一回このバナナ輸入枠さえ押さえてしまえば、安く輸出できて、ベラボーに高く売れる市場を独占できたのでした。
これが陳の錬金術第二幕でした。
彼女がやった方法は、いうまでもありません。裏金をふんだんに政界にバラまいて、バナナ貿易を独占することです。
このようにして政界工作をしていた「台湾バナナの女帝」・陳杏村と、既に政界のフィクサーとなっていた児玉とは二度目の協力関係を持ちます。
そしてこのバナナ貿易利権は、蓮舫氏の父である謝哲信氏に受け継がれています。 
このバナナ利権は、司直の眼から逃れるために多数のトンネル会社に分割しており、そのひとつを息子たち謝哲信、謝哲義に管理させていたようです。
「黒い霧・台湾バナナ事件」が取り上げられた農林水産委員会-4号昭和41年11月01日 にはこういう記載があります。
「かつて日本が台湾バナナ輸入を自由化した当時から、国民政府によって輸出総量の五〇%の割り当てを与えられて、わが国の国内バナナ輸入業者に対して絶大な支配力を持っておる、こういう人が陳杏村。
 三つ目、陳杏村氏の令息に当たる人で謝哲義と謝哲信、こういう人がおります。今度はむすこさんのことですが、それぞれ砂田という日本人商社名をつけた多数のバナナ輸入会社を実質的に支配し、まかされております。(略)
この駐日弁事処は、日本の業者がかつて輸入バナナ一かごに何百円というリベートを持参しなければ台湾バナナを輸入しない、そういうようなことでリベートを取って、外為法違反容疑で警察から取り調べを受けた事件がある」
この1966年の国会答弁に見られるように、謝は母親の陳から譲り受けたバナナ利権のために、台湾と日本政界に金をばらまいたようです。
ちなみにこの陳が作った会社は現存していて、今は蓮舫氏の母親が代表を努めています。
これが「黒い霧・台湾バナナ事件」です。
この時に日本政界、台湾だけではなく、中国共産党筋にも黒い金がばらまかれたという噂がありますが、真偽は定かではありません。
中国共産党との関わりで言えば、蓮舫氏は成人した後に北京大学に留学しています。
陳はこれまでの経緯からなんらかの北京政府とのパイプを持っていたはずですが、それと蓮舫氏の留学と関連づけられるかとうかは不明です。

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 高野孟氏と蓮舫氏
ここにもうひとり蓮舫氏の人生に、強い影響を与えた人物が登場します。
それがかつて総評左派労働運動を率い、「高野総評」とまで呼ばれた高野実の息子である高野孟氏でした。
父親の実氏はゴリゴリの古典的マルクス・レーニン主義者で、中ソを平和勢力と規定し、労働運動を革命の学校と位置づけたような人物です。
長男である高野氏もまた、中国シンパとしてマスコミ業界で知らぬ人とていない存在でした。
ちなみに、鳩山由紀夫氏と共に旧民主党の立ち上げに関わり、現在も鳩山氏の主宰する東アジア共同体研究所の理事を務めています。
その彼が蓮舫氏を北京大学に送り込み、さらには弟子格の村田信之氏まで付き添わせ、やがてふたりの結婚の媒酌人まで努めています。
後にテレビ業界に蓮舫氏を紹介したのも、この高野氏です。 サンデープロジェクトでよく見る顔でしょう。
外国インテリジェンスのする情報工作を、一般人が証拠を提示することは不可能です。
ただ、その後の蓮舫氏が中国の意に沿ったことを、多く発言し始めたことは事実なようです。
戦中戦後史を、闇社会と深く関わりながら生き抜き巨富を築いた女傑・陳杏村と孫娘が、どのような関わりを持ち、台湾と大陸、日本を舞台にして生きてきたのか、歴史ミステリーの様相も見えてきました。
今日の扉写真の白い蓮の花は、陳ばぁちゃんが孫娘に「ハスの花は平和の象徴。ハスの花の船をいくつもつないでいけるよう、台湾の祖母が『蓮舫』という名前をくれた」ことにちなみました。
蓮舫さんは薄っぺらいですが、歴史の闇を背負った女傑・陳杏村女史には好奇心をそそられるものがあります。

[ 2016年9月21日 ]
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