速報 浦添市長選松本前市長が当選! 「オール沖縄」の崩壊決定的に
ま~昨日の浦添市長選は気分爽快、最高でした。
まず、松本市長、おめでとうございます。
そして3万733人の浦添市民の皆さん、良識ある沖縄県民の皆さん、
心からありがとうございました。
これで、沖縄も少しは報われることでしょう。
次はうるま市の市民の皆さんの頑張りに期待しましょう。
きょうも、気持ちよく(農と島のありんくりん)を読んで気持ちよく眠られそうです。
農と島のありんくりん
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/
移り変わる自然、移り変わる世情の中で、真実らしきものを探求する
ぱっと花が咲いたような気分です。
浦添市長線で自民・公明が推薦する松本哲治前市長が、「オール沖縄」が推す又吉健太郎氏を破って再選されました。
前市長といっても一時的に市長空位になったためで、事実上の現職です。
心から祝福します。おめでとうございます。
宮古市長選に継ぐ「オール沖縄」の連敗です。
これで沖縄政治の歪んで傾いた地軸が、正常化のコースに入ることでしょう。
残る政府と対決姿勢をとる自治体は県下11市長中、わずかに名護と那覇だけのふたつになりました。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/83914
「任期満了に伴う沖縄県浦添市長選が12日投開票され、無所属前職の松本哲治氏(49)=自民、公明推薦=が、無所属新人の元市議、又吉健太郎氏(42)を破り再選された。
松本氏を推す安倍政権と、又吉氏を支援する翁長雄志知事の「代理対決」の構図だった。
沖縄県の11市長のうち、那覇と名護を除く9市長は政権と協調関係にあり、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設反対で政権と対立する翁長氏は勢力拡大を狙った選挙だった。同じ構図となった1月の宮古島市長選に続く連敗となり、求心力に影響する可能性がある。
投票率は61・37%で、前回を1・93ポイント下回った。
選挙戦は、那覇市にある米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の浦添市移設の是非も争点となった。
松本氏は前回選で反対を掲げて初当選したが、その後容認に転じた。又吉氏は「市民投票を実施する」として賛否を明確にしなかった。一方、翁長氏は容認の立場で、関係が複雑になっていた。」(産経2月13日)
得票差は8690票です。それを伝える沖タイ(2月13日)です。
「任期満了に伴う沖縄県浦添市長選は投開票日の12日午後11時半過ぎに開票を終え、前職の松本哲治氏(49)=無所属、自民、公明推薦=が3万733票で、新人で前浦添市議の又吉健太郎氏(42)=無所属=の2万2043票を上回り、再選を決めた。」
政策より選挙、義理人情より選挙だった、「選挙ファースト」主義者の翁長氏にとってこの連敗は致命的な一打となりました。
翁長では勝てない、むしろ翁長こそが最大の敗因だ、このことを「オール沖縄」の各党派は思い知ったことでしょう。
承認拒否裁判に破れ、高江でも破れ、辺野古工事は再開され、宮古は勝てる戦を負けに導き、安慶田副知事の斡旋疑惑で側近が炎上して辞任に追い込まれ、そして訪米では無収穫、その上に日米両首脳が「辺野古しかない」と地名まで上げて確約するに至っては、誰の眼にも万策尽きました。
そして泣き面に蜂、止めの一撃が、今回の浦添市長選の敗北です。
もはやこんなに負け続ける者を、「オール沖縄」のボスに仰ぐ者はいません。
これで、「オール沖縄」の崩壊は決定的になりました。
そもそも今回争点となった浦添沖への補給基地の移設を推進したのは、那覇市長時代の翁長氏その人でした。
那覇軍港
那覇軍港自体は74年に返還が決まっていましたが、返還条件にある県内の代替基地が見つからなかったために返還が遅れていました。
この時にも移転先に辺野古がでてきますが、結局、牧港補給所もセットで浦添沖合に移転することで決着しました。
つまり、これで那覇の市街地にあった軍港は移転され、同じく市街化が進む浦添にのさばっていた補給基地も沖合に移動しようという案でした。
那覇市にとっても浦添市にとっても、ウィン-ウィンです。
政府は那覇市と浦添市に、軍港と補給施設を全面返還し、代替として新軍港と物資集積場を沖合に新たに作ることを提案しました。
[追記]篠原章氏によれば「松本市長は、今回選挙で、那覇軍港の浦添移設に伴う埋立面積を160haに抑えるプランを示した。埋立は現行計画より72haも少ないから、経費節減にも環境保護にもなる。
が、これをよしとしない下地幹郎+維新は翁長+オール沖縄に加勢した。浦添市民は実に健全な判断を下したことになる。」
迷惑料としての振興予算や民間港湾施設などの大規模整備もつけますよ、これが国の提案でした。
合意の流れとしては、98年に移設に積極的な稲嶺県知事が誕生し、2001年には振興策や港湾整備を条件にした儀間浦添市長が誕生し、移設作業は急速に進展するかに見えました。
さて、この構図、どこかで見ませんか?はい、そうです。普天間移転の構図そのものですね。
まさに「オール沖縄」がいう、「新基地」の要件すべてを充たしています。
しかしなぜか「オール沖縄」はこの浦添移転計画について、大きな反対運動を手控えてきました。なぜでしょうか?
この浦添移転について、翁長氏がコロコロと立場を変節して混乱を引き起こした元凶だったからです。
那覇市長時代の翁長氏は、当初こんなことを言っていました。
「決断に敬意を表する。今後、那覇港は県、那覇市、浦添市の三者が一体となって国際流通港湾として整備・管理することになる。振興発展を担う中核施設として整備されるように努力を重ねたい」(琉球新報2001年11月13日)
こんな言い方が「新基地」に通用するならば、今の辺野古移設についても是非こう言ってほしいものです。パロってみます。
「普天間基地が移設されることで、宜野湾は那覇市、浦添市などと一体となった広域首都圏として整備・管理されることになる。普天間基地の跡地が振興発展の中核施設として整備されるように努力を重ねたい」
このように熱烈推進だった翁長氏は、10年間近く棚上げになっている間に左翼陣営に媚を売るようになります。
理由は単純。仲井真氏の寝首をかいて、自らが知事になりたかったからです。
仲井真氏と自民を裏切った以上、この組織票はあてにできないので、左翼陣営との合体に走ったのです。
2013年2月、儀間市長の4選を巡って、浦添市長選が行なわれ、当時新人だった松本氏が新市長に選出されますが、実は移設問題について候補者は全員容認でした。
なぜなら、浦添市側としては、那覇市との合意を勝手に破れないからです。
ところが、既に知事の座を狙っていた翁長氏は、自分も関わって作った合意事項だったにもかかわらず、松本氏潰しに走ります。
この節操のなさが翁長氏の翁長氏たるゆえんです。
松本氏は公開候補者選びでトップだったにもかかわらず、翁長氏はこの結果を覆し、「オール沖縄」候補の西原氏をぶつけてきます。
結局、フレッシュな新人だった松本氏が当選するのですが、呆れたことには知事になった翁長氏はもう一回容認の立場に転向します。
別に賛成反対は言っていませんが、黙っているのは容認です。
えー、頭がグルグルしてきましたから整理します。
・那覇市長時代・・・推進
・知事野望時代・・・反対
・知事時代 ・・・沈黙
自分の変節の歴史そのものの浦添移転構想を、あまりつついて欲しくないというのが本音なんでしょうね。
「オール沖縄」もまた偽りのカリスマに持ち上げた翁長氏の粗をさらけ出す事になる浦添移転問題には、見えません、見えません、なんにも見えませんと決め込んで、蓋をしてしまいました。
こういう党派利害によって、辺野古とまったく同一の「新基地」建設であるにも関わらず、いささかも問題視されることなく、今回の市長選を迎えたわけです。
ですから、「オール沖縄」は明快に反対と言えずに、又吉候補のように「住民投票で決めてもらう」なんて弱々しいことをいう始末でした。
辺野古の海と、浦添の海のどこが違うというのでしょうか。
このようなご都合主義が終焉したのが、今回の浦添市長選挙だったのです。
潮目が変わりました。
翁長氏の野心と、左翼陣営の権力欲を無理矢理くっつけていた「オール沖縄」という枠組みは自壊コースに入りました。
宮古・浦添市長選敗北、辺野古・高江闘争敗北と、実に4ツもの敗北を受けて、「オール沖縄」は総括を巡って責任のなすり合いが始めるでしょう。
社民・社大は翁長氏を見限って、独自候補を模索するかもしれません。
共産党はあんがい翁長氏をまた担ぐかもしれません。
すると、宮古市長選でも見せた「オール沖縄」が分裂選挙に陥る可能性があります。
いずれにしても、「オール沖縄」という野合集団の政治生命は、今や燃え尽きようとしています。
コメントをどうぞ