すり替えただけでは事実は消せない
南城市の古謝 景春市長のFB投稿にまで圧力をかける新聞記事はあまりにも偏執狂的で沖縄県民をあまりにも愚弄してると、昨日、書いた通り、沖縄タイムスも琉球新報も新聞とはほど遠いものに成り下がっている。
こんな新聞まがいの機関紙が普通の新聞のような顔をして、大手をふってる沖縄社会の言論空間に危機感を持つ沖縄県民が増えてきていることが、若干の救いでもある。
勇気をもってFBに投稿してくれた南城市の古謝 景春市長には心から感謝したい。
古謝市長にはこれからも新聞まがいの機関紙の権力に臆することなく、堂々と感じたことを公人、私人関係なく発信し続けてほしい。
でないと反日に真っ赤に染まった新聞まがいの機関紙に悩まされている沖縄県民は救われない。
少し前の(農と島のありんくりん)さんのエントリーですけど、どうしても読んでほしいので紹介させて頂きます。
農と島のありんくりん
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移り変わる自然、移り変わる世情の中で、真実らしきものを探求する
すり替えただけでは事実は消せない
反対派の「反論」の定番は、論点のすり替えと揚げ足取りです。
昨日も来ましたが、全体を見ようとせずに揚げ足が取れる一点に集中します。
昨日の場合は救急車の私的「検問」でしたが、自分たちで警察車両まで止めて私的「検問」をしたことを自慢げにツイートしているくらいですから、行き過ぎた反対運動の戦術があったことは隠しおおせるわけがありません。
そもそも彼らの民兵まがいの私的「検問」は白昼公道においておおぴらに行われており、多数の目撃例があり、映像も沢山残されています。
逃れようもない犯罪行為です。
彼らは自分たちの違法行為を棚に上げて、「救急車検問はなかった」と言えばまるで「検問」全体がなかったかのように言えると思っているようです。
これが詭弁術である論点のすり替えです。詭弁術とは別名虚偽術といい、もっともらしい嘘を意識的につくテクニックのことです。
普通の市民はこんな詐術に馴れていないので、反対派活動家からこのように突っ込まれるとグっと詰まって負けてしまうことも往々にあります。
次なるは、依田氏に対する執拗な個人攻撃です。
個人攻撃も詭弁術のひとつで、これも「木を見て、森を見ない」やり方のひとつです。
「木」つまり、「救急車の出動回数が増えた」という依田氏の言論に対して否定的調査がメディアから出ると、「ほら見ろ。全部捏造だ」と決めつけます。
つまり「森」、高江地区の不法な反対派支配は事実そのものまで全否定してしまうわけです。
そしてそれどころか、依田氏を「サイコパス暴力男」として描くことで、彼を社会的に葬るばかりでなく、依田氏の暴行事件と添田や山城氏の暴力とを相殺しようとします。
私的「検問」行為によるトラブルで偶発的に起きた依田氏の事件と、計画的に政府職員の公務を妨害しようとして起きた集団暴行事件を同列にすること自体が間違っています。
実はこの攻撃したい相手を「サイコパス」などと罵るのも、「レッテル貼り」、あるいは「相殺」という詭弁術です。
この依田氏の暴行事件も、依田氏の言い分では突き飛ばしたという事になっているのに対して、反対派側は切れて縫ったという事になっています。
現実にどうであったのかは、分からないとしかいいようがありません。また、依田氏がナイチャーだからどうのと言うに至ってはびっくりしました。
依田氏が、よしんばナイチャーだからどうだというのでしょうか。※生れは本土でしたので訂正いたします。
彼は立派な農業をして、やんばるの赤土に根をしっかり下ろしています。いつから血統主義になったのか。
もちろん依田氏はサイコパスではありませんし、仮にそうだとしても添田や山城氏が犯した集団暴行事件の事実が消えてなくなるわけでもありません。
こういう詭弁ばかり言っているから、なぜ高江紛争で負けたのか反対派は永遠に総括できないことでしょう。
運動は弾圧では潰れません。弾圧はかえって結束を高めます。
本当に運動が崩壊してしまうのは、運動内部に疑心暗鬼が走り、内部での抗争が始まる事によります。
今回の場合は、既に運動に内包していた<血と暴力>というダークサイドを安易に解放してしまったことから始まりました。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/20165-b8be.html
一連の流れを見てみれば、お分かりになると思います。
今までそれなりに非暴力直接行動の枠ギリギリに納まっていたものを、8月頃より一気に暴力を解放した結果、指導者である山城氏が逮捕・拘留されてしまいました。
これで事実上反対運動の指導部が瓦解し、さらに暴力路線を嫌った共産党は分裂していきました。
これを発端にして、翁長氏の宮古市長選の応援失敗と連動した安慶田副知事斡旋疑惑が起きて、「オール沖縄」は自壊の坂を転がり落ち始めます。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-7885.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-4b03.html
今月の浦添市長選の結果が敗北に終われば、「オール沖縄」の亀裂はさらに決定的になるでしょう。
この自壊のきっかけを作ったのが、添田の登場だったのであり、彼を送り込んだのが辛淑玉氏だったのです。
さて今回の「ニュース女子」問題ですが、先日述べたように作りが甘いのは事実ですが、これで司会をした長谷川幸弘氏を解雇せよと迫る辛淑玉氏側はエキセントリックに過ぎますす。
ここでも反対派は、昨日の荒らしと同じ手法をとっています。
取材した側が「トンネルから先には危険で行けない」と言ったことをもって、取材をしていないのに誹謗中傷したと言うわけです。
まるで、高江地区でなにも起きなかったかのようですね。
昨年高江地区で白昼公然と私的「検問」が行われ、集団リンチ事件や、防衛局職員がテントに拉致されて資料を強奪される事件が頻発したことを都合よく忘れてしまったようです。
「トンネルから先に行っていない」という一点を揚げ足取りして、あたかも全体に平和的反対運動だったとすり替えたわけです。
「反対運動で被害を被っているというニセの被害者を登場させた」というなら、高江地区の人々がどのように反対運動を感じていたのか、沖タイの記事を読むことですね。
沖タイ記事でよかったですね。これが産経だったら、右翼紙がデタラメを書いていると一蹴されたことでしょうから。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/61153
辛淑玉氏はここでもまた、得意の「救急車」を出してきます。
さきほど述べたように「救急車検問」を否定したところで、公道における私的「検問」の事実そのものが消えるわけでもなんでもないのです。
日当うんぬんについては、貰っている労組や政党、「平和団体」の専従もいるだろうし、弁当自弁できている人もいるというだけの話です。
またここでも「木を見て、森を見ない」という詭弁術を使っています。
番組の例証の提示が杜撰だったことは事実ですが、番組の大筋は事実から離れてはいず到底「捏造報道」とはいえないものです。
しかし、辛氏はこれを「沖縄ヘイト」とまで呼びます。これもレッテル貼りという詭弁術です。
「沖縄の人々の思いを無視し、踏みにじる差別であり、許しがたい歪曲報道である。また、権力になびく一部のウチナンチュを差別扇動の道具に利用して恥じない「植民者の手法」でもある」(辛淑玉氏声明)
だから司会の長谷川氏を首にしろということのようです。ここまで来ると、もはや露骨な言論弾圧です。
自分たちを批判したら会社を首にしてやるというわけで、イッちゃってるとしか言いようがありません。
このような圧力をメディアにかけることで、沖縄の反基地運動を批判することを書いたら社会的に葬ってやるぞという威嚇を狙っています。実に陰湿です。
元来沖縄地元紙と主張が同じだった東京新聞は、床にアタマを擦りつけんばかりにして平身低頭しました。
また長谷川氏と同じ東京新聞記者の望月衣塑子氏は、こうツイートしています。
どうやらこれが東京新聞の社内の空気らしいですね。
「裏付けのないヘイト」ですか。ほぉ、言葉遣いまで辛氏や地元紙と一緒ですね。
一方長谷川氏は月曜日のラジオ番組で、このように述べていました。
1.番組についてはコメントしない。
2.東京新聞とニュース女子は無関係なのに、なぜ東京新聞が関与するのか。
3.意見が違うということで私を処分するというのは言論の自由の侵害である。
4.東京新聞の意見と社員が社外で意見を言うことは別。こんな事を許したら東京新聞は北朝鮮と同じになる。
長くなりましたので、今日は長谷川氏の報道姿勢を述べた文章を引用して終わりにします。
この一文が、東京新聞中枢と辛淑玉氏への的確な反論となっているでしょう。
「多くのマスコミ関係者は「政権や権力と戦うのが使命」と思っている。私は政権と戦うのがマスコミの使命などとは、まったく思っていない。そんなことをいったら、マスコミはいつだって政権反対の立場に縛られてしまう。
自民党が政権をとったら自民党反対で、民主党政権になれば民主党反対ではないか。そうではなく、マスコミは政権がどうであろうと自分自身が自由に考え、意見を述べるべきなのだ。マスコミが単なる政権の逆反射に陥れば、自由に考えているのは政権の側で、マスコミは思考停止になってしまう。
権力監視は大事だが「権力は絶対的に悪だ」という話ではない。そんな極論を言い出せば、警察も自衛隊も国税庁もいらない話になってしまう。
肝心なのはマスコミが時の政権や権力から自由にモノを考え取材し、意見を述べる。それに尽きる。
私が籍を置く東京新聞は、いまや日本でもっとも過激な左派の新聞である。デモがあれば、1面を大々的にデモの写真で埋め尽くした。
何を報じ、何を訴えようと自由だが、私が東京新聞とは正反対の発言をしたり書いたりするのも、もちろん私の自由だ。東京新聞の大勢が主流派であるとすれば、私がたった1人で反主流派を貫いているのは誇りに思う。ときどき「東京新聞から出て行け」という声も耳にするが、そういう輩は言論の自由の本質をまったく分かっていない。」
(週刊ポスト2015年10月9日号)
ちなみに辛淑玉氏の最新動画が届いておりますので、ご覧ください。ま、こう言う人です。
題して「若者は死ね年寄りは捕まれ」。盟友の福島瑞穂も登壇します。
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