「ファミコンの父」として知られた元任天堂開発第二部長の上村雅之さん(78歳)が6日死去したことが明らかにされた。葬儀は近親者で営んだ。
上村さんは 東京都生まれ。1967年に千葉工業大電子工学科を卒業後、早川電機工業(現シャープ)を経て、71年に任天堂に入社。79年から開発第二部長に就き、ファミリーコンピュータやスーパーファミコンなどの開発を指揮した。
2004年からは立命館大で同大学院先端総合学術研究科教授などを歴任、2011年からは、同大の初代ゲーム研究センター長も務めた。
早川電機(シャープ)に勤め太陽電池の開発を手がけていた際に、当時の取引先の一つに『光線銃シリーズ』を手掛けていた任天堂があり、1971年に任天堂に引き抜かれる形で入社した。『光線銃シリーズ』の延長線上で生まれた「任天堂レジャーシステム」のゲーム機を開発、据え置き型ゲーム機『カラーテレビゲーム15』などの開発に携わり、1979年に新設された製造本部開発第二部部長となる。