アイコン JR西日本、山崎社長は人身御供か

JR西日本の福知山線で平成17年4月25日発生した脱線事故、現場は地獄と化かし107名の尊い命と多くの重傷者・負傷者を出した。福知山線は多くの通勤者を乗せる列車、運転手が無謀なスピードでコーナーに突っ込み脱線事故を発生させた。しかし原因は、運転手の人為ミス以前に、減速しなければならない危険なところでは自動制御システムを設置すべきであり、それを怠ったことも事故原因の大きな要因の一つとして上げられている。

山崎社長が、神戸地検に業務上過失致死傷罪で7月8日在宅起訴された。しかし山崎社長は「これまでの経営者に責任がある」と発言を繰り返している。
常務であった山崎氏は、JR西日本の本流から平成10年6月外され、子会社のJR西日本面テックに左遷?させられた。ところが、脱線事故で平成17年6月本社に呼び戻され、副社長に就任、翌年の平成18年2月より社長となった人物。

山崎社長は、事故当時JR西日本の経営陣にいなかったものの起訴され、社長辞任を表明せざるを得なくなった。山崎氏の前経営陣対する逆恨みか、はたまた子会社の社長のままであったら、在宅起訴などされなかったと思ったか・・・・。
しかし、せめて社長として「自分も責任があるが、過去の経営者たちにも責任がある・・・・」と何故自分にも責任があると発言しないのだろうか。

山崎社長は、平成10年6月までJR西日本の常務であり、その後は子会社の代表を務めていた。JR西日本では、昭和62年4月から平成3年5月までの4年間新幹線運行本部運輸部長を歴任、世界一安全と称される新幹線の安全システムを熟知、また平成5年4月から平成8年5月まで鉄道本部の取締役副部長兼安全対策室長を3年間務め、平成10年5月まで常務鉄道本部長として鉄道部門の責任者を2年間務めていた。
現場を急カーブに付け替えた当時の鉄道本部長でもあり、スピードを出して当カーブに進入した場合、危険性がある所と知りながら、熟知している自動制御装置ATSを設置しなかった責任を問うとして起訴されている。疑問は垣内社長(事故当時)がどうした山崎氏と共に起訴されなかったのか、大きな疑問である。

山崎社長は、前社長の垣内社長時代(平成15年4月就任)の事故であり、事故当時JR西日本本体にはおらず、子会社にそのままとどまっていたなら、起訴されなかったのも事実であろう。角田(初代社長、不採算路線の廃止強化)・井手(国鉄改革派)・南谷(異業種強化)・垣内(井手氏の弟子)と続いた経営陣が問われないのも些か合点がいかない。

国鉄は平成62年4月民営化されて7鉄道会社に分社化された、各鉄道会社の社長に就任した国鉄役人は、各鉄道会社で絶大なる権力を持った。JR西日本は角田氏が初代社長を務め、信楽高原鉄道正面衝突事件(平成3年5月14日、42人死亡)の責任を取ったか知らないが、翌年にその番頭であった社長職を井手氏に譲り、井手氏が強力な権力を引き継いだ。その弟子が今回の事故当時の垣内社長と言われている。
 
山崎社長は初代の角田氏や井手氏・垣内氏らの人脈ラインではない。JR西日本在任中、安全管理責任者や鉄道本部長を務め常務取締役まで登りつめたが外に出された人物。事故を機にわざわざ本体に呼び戻され社長に就任したものの、元々人身御供用として抜擢されていたのではとの疑念がわいてしまう。
民営化されても今だ官僚組織、中枢の人脈から一旦外されたら、復帰することはまずありえない、一度子会社へでも出たら、肩書きが汚れているとさえ言われる世界である。

平成17年6月時点の役員は、序列、南谷会長・垣内社長・山崎副社長(17/6就任)・池田専務(17/6就任)・丸尾専務(17/6就任)の順でいずれも代表権を持っている。

平成21年6月時点の役員は、山崎社長・佐々木副会長・西川副社長・真鍋副社長の順でいずれも代表権を持つ(会長は社外で代表権は持たず)。
佐々木副会長は、山崎社長が常務取締役鉄道本部長であったとき副本部長であった人物、その後子会社に出ていたが山崎社長によって呼び戻された。
山崎氏にしてみれば権力闘争?、初代角田氏から続く、角田-井手体制を断ち切るため、事故責について、過去の経営陣の責任追及を続けているのではなかろうか。当然今回の事故で、垣内社長は監督する国土交通省から経営陣の刷新を求められたことは明白であり、角田-井手体制は一度身を引いても時間が来れば再構築する準備は当時からできていたと思われる。そのために山崎氏を起用したのでは・・・・。

 いずれ、JR西日本の汚れきった官僚・権力組織について山崎氏が手記でも出そう。

 

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[ 2009年8月24日 ]
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