アイコン 矢野絢也氏勝訴、踏んだり蹴ったりの公明党

1989年まで公明党委員長であった矢野絢也氏が、政界を引退して評論家になり、政局についても自らの考えを話し面白かったが、大きな圧力を中央の放送局が受けたと見え、その後全くテレビ出演がなくなった。公明党も変わったなぁと喜んだのもつかの間であった。

自らの考えなどもってのほかの公明党なのか、矢野氏は議員・委員長当時の矢野メモ100冊を、矢野氏宅に押しかけた公明党の黒柳明、伏木和雄、大川清幸の各国会議員(当時)3名により持ち去られた。
矢野氏はその事件につき週刊現代の取材に応じたところ、週刊現代の記事に名誉を傷付けられたとして黒柳明、伏木和雄、大川清幸の各氏が、矢野氏と週刊現代に対して損害賠償請求訴訟を起こした。1審では矢野氏側が敗訴したものの、2審では3氏が逆転敗訴、最高裁に3氏が上告、9月1日最高裁は上告棄却、3氏の敗訴が確定。矢野氏側は3氏に対して逆訴していたため、矢野氏側が勝訴した。
なお、ダミ声の黒柳氏は92年公明党副委員長まで登り詰め、94年には何故か新進党の結成に参画、その後政界から引退している。イヤケがさしたのかなぁ。

公明党は、委員長さんも○○さんも○○さんも落っこちるようでは暫く収拾がつかないだろう。創価学会の人たちは非常に熱心に活動する、また頑張っている飲み屋の年配のママさんも多い。そうした人たちに支えられているのが公明党であり、永田町だけの駆け引きで采配していては、支援者の真情も離れてしまうのも自然であろう。

今後公明党は、支援者の核である創価学会員を含めた庶民の生活に、基盤を置き、最初からやり直さなければ、民主党の政権能力次第では、沈んでしまう可能性すらある。
今回の選挙では創価学会の人からいつも3~5本投票依頼の電話が入るが、1本もかからなかった。知り合いに尋ねたが、知り合いも同じであった。

 

[ 2009年9月 3日 ]
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