アイコン 北九州市に新風を吹かせた「高田賢一郎氏」逝く

高田工業所(元)代表兼(元)北九州商工会議所会頭であった高田賢一郎氏が19日亡くなった。高田工業所は、新日鐵の工事請負会社でプラント工事などを担当しているが、鉄鋼不況の中、2003年8月経営危機に陥り、産活法の適用を申請、福岡銀行からDESの支援を受け再建された。

しかし、このとき、福岡銀行から経営責任を追及され、高田氏は首を差し出し、代表を退いた。同時に北九州の商工会議所の会頭も辞した。
会頭の席は、高田氏が就任する前まで、安川電機・東陶等の地元大手関係者の常席であった。就任した2001年当時、工業都市北九州市は不況によりどん底の閉塞状態。そこに登場した高田氏、副会頭にゼンリンの大迫忍氏とコンビを組み、閉店していた「そごう」跡地への伊勢丹誘致など北九州経済界の新しいリーダーとして活躍、福岡-北九州の経済一体化構想を打ち出すなど新風を吹かせた。 
残念ながら、高田工業所の経営が窮地に陥り会頭も辞したが、それでも高田氏と大迫氏の福岡県経済における功績は大きかった。

GI馬主でもあったワイン好きな大迫忍氏は2005年6月亡くなり、高田氏も逝った、寂しい限りである。
皮肉にも、高田工業所は、高田賢一郎氏が代表を辞した直後から、中国景気により鉄鋼業界に火が付き、新日鐵は好景気に沸き、同社も大幅に受注回復、今では安定した業績を呈している。
北九州市も鉄鋼のほか、トヨタ・ブリヂストンなどの新たな工場進出により経済も少しだけ回復基調にある。
北九州市を代表する経済団体である北九州商工会議所には、高田氏や大迫氏のような今の時代に通用する人材が望まれている。
 

[ 2010年6月24日 ]
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