アイコン 沖縄の政治の自立を!

仲井真仲井真候補

仲井真VS伊波の沖縄県知事選に多くの沖縄県民の選択肢は狭まれている。どちらが勝っても沖縄に夢も希望も持てそうもない。10月17日の下地ミキオのブログを読んで沖縄基地問題の根の深さと罪の重さを改めて痛感している。
沖縄県内の人も県外の人も一度読んでみてください。
仲井真VS伊波では沖縄は変わらない。第三極に期待したい。
http://www.mikio.gr.jp/blog/index.php (10月17日・ミキオブログより転載)

 

政府という組織は、自らの政策を遂行するためには、矛盾を分かりながらも進める事があります。この時においては、使命感や役割を持って「これしかない」と思い込み、自らの矛盾を正当化しながら「国のためだ」という言葉の下に進めるのが政府であります。

しかし、そのような矛盾を自らが知りながら、「国のため」と思って進める政治決断を10年、15年、20年というスパンで検証してみると、やはり「国民は矛盾を国の政策として認めない」ということが、結果として必ず現れるものであります。

1996年4月12日、クリントン大統領の決断で、米軍普天間基地の返還が決まりました。その後、当時の大田昌秀沖縄県政と橋本龍太郎総理は、大田知事が退任するまでの2年間、代替施設の有無を巡って熾烈な戦いをしてまいりました。何とか代替施設を認めさせせたい橋本内閣は、あらゆる手法を使い、大田県政に政治判断を要求してきました。一つには、沖縄政策協議会を設置し、振興策という大きな経済の力をもって理解させたいということでありました。二つ目には、自民党内でも、第41回衆議院議員選挙において、私・下地幹郎と嘉数知賢先生を比例九州ブロックの7番と8番に指名し、自民党は沖縄を大事にしていると言う姿を創りました。三つ目には、橋本総理と大田知事との会談は20回を超え、梶山静六官房長官、野中広務自民党総務局長と大田知事の会談は、50回を越えたといわれるほど、「対話」の姿勢をつくりました。

その極めつけは1997年、吉元政矩副知事の再任をめぐっての攻防であります。自民党沖縄県連は反対でありました。しかし、これまでの対話を進めるためには大田知事を守らなければならないとして、吉元副知事の再任へ向けて野中総務局長が介入し、当時の嘉数昇明自民党沖縄県連会長は東京にまで呼ばれて、厳しい締め付けをされました。

「大田県政を自民党本部が守る。しかもそれが基地政策を進めるために」

「そんなことがあっていいのか。これでは自民党沖縄県連はなくなってしまう」

「そんなことを許すわけにはいかない」

伊波候補伊波候補

当時、自民党県連は結束して本部と戦いました。そのとき、野中総務局長が言った言葉が今でも忘れられません。

「県連なんてなくなってしまえばいい。基地問題が進めばいいのだ」

そのことは、当時の自民党を愛していた私にとっては、非常に衝撃的なことでありました。結果は、共産党も一緒になって、1票差で否決をしたわけであります。沖縄の政治の自立心を通したという意味では、そのことに対して悔いはありません。しかし、今思えば、沖縄県政史上、あれだけの行動能力のある吉元氏を副知事から降ろしたことが、基地問題の混乱を今日まで引きずらせているのではないかというかすかな反省の念を抱いております。

そのとき、「政府は恐ろしいものだ」ということを身をもって感じました。そしてもっと恐ろしいことは1998年、大田知事の対抗馬に稲嶺恵一氏が選出されたときの沖縄県知事選挙において、野中総務局長が「大田知事は人の道に反した。人間として失格だ」と発言したときであります。手のひらを返したような政権与党全力を挙げての選挙で、大田知事をつぶすと言って取り組んできたあのときの選挙は、今でも忘れることはありません。日本中から応援団が来て、「稲嶺氏が勝たなければ基地問題は解決しない。日米同盟が崩壊する。そうなれば、安全保障も不安定になり、日本経済も崩壊してしまう」と言い切って戦った私たちでありました。

野中広務という権力者の「国を思う」というひとつの発言に、沖縄県民が振り回されてきました。私は、そのことを改めて感じる時を迎えております。なぜかと申しますと、昨年、政権交代が行われ、国民の期待の中で鳩山内閣がスタートしました。国民が期待したのは、古い政治からの脱却であり、また、雇用・景気問題の解決であり、それに伴う格差の是正、そして安心できる医療や介護だったはずであります。その中の大きな柱として、沖縄の普天間基地の移設問題がありました。

ことの経過は長くは話しませんが、鳩山政権が「県外・国外」と言ってきたことだけは事実であり、それが出来なくなって、鳩山政権も菅政権も、自民党と同じ辺野古案に舵を切りました。沖縄の民主党県連が「駐留なき安保」とう言葉を考えたわけではありません。沖縄の民主党県連が、「県外・国外」を声高らかに叫んできたわけではありません。民主党本部が、この方向で衆議院選挙を戦おうといって、県連と一つになったのであります。そして政権を取り、党本部の考え方が大きく変わった中において、一度は「県外・国外」に舵を切った民主党県連は極めて厳しい政治状況にあると、私は同じ沖縄の政治家として感じております。

しかし今、菅政権の閣僚の中には、「県外・国外」への移設を求めると政策を転換した仲井真弘多知事が、この11月の沖縄県知事選挙で勝てば、選挙後、辺野古移設に合意するだろうと期待をしている方々がいます。その公約違反のシナリオとしては、記者会見やスピーチでは「県外・国外」を話すが、公約やマニフェストには書かないことで、一つの根拠づくりをする方法、最終目的を「県外・国外」で閣議で決定し、暫定として辺野古に移設するという方法などが考えられているのではないでしょうか。地方自治体の首長の選挙公約との矛盾を肯定する数多くのシナリオをつくる政府がそこにあるのではないかという疑念は、東京からも沖縄からも聞こえてくるのです。

幹夫

こういった環境の中では、今の民主党県連は、13年前の自民党沖縄県連と同じような立場に追い込まれているのではないかという思いになります。「沖縄の矛盾を暴きだし、東京にそれを訴えれば、政治生命がなくなる」という言葉を聴かされたときの13年前が、またここに見え隠れしてきたように思います。沖縄政策協議会を開いて振興策をやるというのもそっくり、自らの党の県連を切り捨てようとする姿勢もそっくり。これまでの反省もなく、また同じ道が現れているような気がします。県連内の一部が東京に巻き込まれ、東京の声を主張する時がくるのも時間の問題でしょう。

この知事選挙における私たちの「第3極」という思いは、仲井真知事の政治姿勢についても納得は出来ない、伊波洋一氏にも柔軟な政治が期待できないのではないかという不安感から生まれているのです。それ以上に、政府の矛盾を肯定し、それが国を守るというような、14年前が戻ってきている今が許せないのであります。

あの時と同じ仕掛け人が、今まさに同じ手法をもって、15年ぶりにまた戻ってきているのではないか・・・そんな思いさえいたします。

 
[ 2010年10月20日 ]
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