アイコン 中小企業信用機構(2)/民事再生申請 破綻解説

中小企業信用機構は、昨年9月金融庁からデタラメ銀行として破綻させられた日本振興銀行に対して、同行の株式21億円が不良資産化したと発表。
2010年8月期の決算では、その不良債権も組み込み8億円の債務超過に至り、貸金業の登録免許維持すら危ぶまれる状態となっていた。
また、同社が同行から借り入れていた約72億円についても12月当座借越契約が1ヶ月間延長されたものの、1月25日に延長日が到来、再延長できるか不安視されていた。 

同社の破綻は、予期されていたとはいえ、山ほどある中小企業振興ネットワークの中核企業の一社でもあり、今後の中小企業振興ネットワークグループの動向も含めて注目される。それに同社の融資先や手形割引先1700社も影響がなければと心配される。

同社は、最近では日本振興銀行の貸付に対する保証業務を行い、貸付業務や商業手形割引業務を行っていた。その保証業務が昨年5月27日、日本振興銀行が業務停止命令を受けたことから、同行は新規貸付ができなくなり保証業務が頓挫、直近では、貸付と商業手形割引を主業務としていた。
しかし、借入金の安定性問題、債務超過から増資の引き受け問題など、いくつも難題を抱え行き詰った。

<中小企業・・機構と名が付くグループ企業群>(判明分のみ)

中小企業IT機構
中小企業サービス機構
中小企業リゾート機構
中小企業レンタル機構
中小企業飲食機構
中小企業監査機構
中小企業管理機構
中小企業業務機構
中小企業経営支援機構
中小企業建設機構
中小企業再生機構
中小企業支援機構
中小企業自動車機構
中小企業信販機構
中小企業信用機構
中小企業人材機構
中小企業製造機構
中小企業投資機構
中小企業農業機構
中小企業不動産機構
中小企業流通機構
・このほかに、中小企業振興ネットワークに加盟していた企業が多数ある。

 

<同社を振り返る>
同社の大証時代は、換金性のある堅実な商業手形割引を業としていた。ところが、(京都の)日栄(ロプロ)が、バブル時代に商工ローンを取り扱い始めると、同社代表は日栄の松田社長に教えを乞い、同社も商工ローンを取り扱い始めた。バブルが崩壊して、銀行の融資が引き締まり、企業倒産が相次ぐなか、至って健全な財務体質となっていた商工ローン業者に対して、金融機関は挙って融資を拡大、金融機関に変わって高金利の商工ローン業者が中小企業向けに融資を拡大させ、商工ローン業者はボロ儲け状態となった。
同社も健全な商業手形割引のウェイトは小さくなり、商工ローンの取り扱いが主を締めていた。
 商工ローンの2大大手であった日栄(ロプロ)と商工ファンド(SFCG)が、1999年「腎臓売れ」事件を引き起こし、あくどい取立てが社会問題化した。そのため、金融機関は融資の拡大を控える。
 そうしたなかで同社は、商工ローン業者としては後発ながら2004年12月ジャスダック市場に上場を果たした。
ところが、2005年11月㈱ニッシン(現、NISグループ)が、同社株を公開買い付けを実施、代表ら株主は賛同して株を売却した。公開買付価格は1株450円であった。当売却は同社代表の健康状態がすぐれなかったためとされているが真意のほどは不明である。

 

予断になるが、㈱ニッシンは、当初消費者金融と商業手形割引を行っていた。同社も日栄の松田社長に商工ローンの教えを乞い、商工ローンを取り入れ、事業を大きく成長させ、1994年には店頭登録(現ジャスダック)を果たし、1999年東証一部、2002年にはニーヨーク証券取引所に上場するまで成長していた。当時のアプレック代表とニッシンの社長(会長)は知り合いであった。

<問題のグレーゾーン禁止問題浮上> 
ところが、2006年1月グレーゾーン金利問題に決着を付けた最高裁判決が下り、利息制限法により規定された金利以上の金利を支払った部分は、不当利得として返還対象となったのであった。そのため、貸金業界は大変な事態に陥り、3~4万社あった貸金業者も今では数千社までに激減している。
ニッシン傘下となった同社も不当利得返還請求を受け、先行き暗雲が立ち込めた。2006年10月親会社のニッシンはNISグループに社名変更、同年11月にはグレーゾーン問題から決別すべく18%以下の金利に引き下げた。
しかしながら、親会社のニッシンも含めて、過去の融資についての不当利得返還請求問題を抱えていた。
商工ローンは、殆どの業者が法定金利の上限とされた29.2%の金利で融資されていた。不当利得返還請求で厳しきなる経営を見越して、金融機関は商工ローン業者から撤退していった。

融資を減らし続ける金融機関に対し、愛の手を差し伸べたのが日本振興銀行であった。
同社も2008年3月、日本振興銀行等への割当増資で表面的にはニッシンから商号が変わったNISグループの持分子会社となったが、実質はそれ以前から日本振興銀行の傘下となっていた。

日本振興銀行へ金融庁の検査が入っていた関係からか、09年8月には76億円の融資を受け、同行が破綻する直前の2010年8月末には83億円まで融資が増加していた。

中小企業信用機構への融資の変遷
/百万円
2006/3
07/3
08/3
08/8
09/8
2010/8
福岡銀行
2,000
1,734
1,469
159
 
 
山口銀行
1,936
1,383
644
435
 
 
ニッシン(NISグループ)
1,700
8,400
3,600
 
 
 
福岡ひびき信金
1,523
1,015
507
296
 
 
西日本シティ銀行
722
481
240
140
 
 
福岡中央銀行
200
 
 
 
 
 
広島銀行
 
232
123
 
 
 
西京銀行
 
183
116
 
 
 
日本振興銀行
 
 
 
1,400
7,600
8,300
富山第一銀行
 
 
 
 
 
100

 

2010年3月になると、金子源(キンスモト)の日本振興銀行が俄かに金融庁の検査妨害で、マスコミでクローズアップされるなか、同社を中小企業・・機構の14社がまとまって出資したIFSパートナーズ・ファンド1号が、公開買付で買収した。日本振興銀行傘下グループ内の資金のやり取りに過ぎない買収でもあった。

 

同社の2010年8月期の商業手形割引残高は23億20百万円、貸付残高は28億87百万円となっていた。総資産が81億64百万円(21億円の不良資産引当後の残高、債務超過8億39百万円)であったことから、残りは主に佐藤食品工業やニッシン債権回収株などの投資有価証券に使用されていた。

同社は2010年5月、日本振興銀行が業務停止命令を受け、それまで利益の源泉でもあった同行向けの貸付保証業務がなくなってしまった。そのため、その後金融機関での換金性の高い商業手形割引業務に注力していたが、資金パイプが日本振興銀行であり、また商業手形割引業務は久しく主力としてはやっていなかったため、それほどの成果を納めるに至らなかった。そうした状況下、9月12日に同行は金融庁から破綻させられた。

同社は同行の株券を21億円分も所有していたため、その株が不良資産化。8月決算が発表された10月には、8億円の債務超過に至り、資本増強しなければ貸金業そのものも持続できない(自己資本5000万円以上必要)状態となり、ゴーイングコンサーンに抵触した。
10月15日には、仲間の中小企業保証企業が同行に連鎖して破綻。
実質国の管理下になった日本振興銀行からの借入金も、12月1度は借り換えができたものの、72億円(8月末は83億円)のその期限が1月25日となっていた。

同社の破綻は、債務超過状態に至り、日本振興銀行からの借入72億円も返済不能状態。業務の貸金業を継続するにも債務超過を解消して5000万円以上の自己資本が必要となるが、増資の引き受け手もなく、今回の事態に陥ったものである。

<商工ローン問題>
商工ローン問題は、その融資の仕方が、以前から行われていた貸金業を逸脱したものであった。東証一部に上場している日栄や商工ファンドなどの企業が多くその手法を取り入れ、その殆どが破綻へ向かった。その手法を確立したのは、日栄の松田社長であった。結局、日栄(ロプロ)自身が破綻し、松田式商工ローンを取り入れた商工ファンドも破綻、中小企業信用機構(旧、アプレック)も破綻した。まだNISグループ(旧、ニッシン)やJトラスト(旧イッコー)も生きているものの経営は厳しい状態、元々は松田門下生であった。

 

商工ローンの問題の手口は、普通の貸付ならば、融資先から回収するのが当然であるが、商工ローンの場合は、融資相手先の信用は0でもよかった。そのかわり保証人から回収するという手法であり、1件の貸付に多くの保証人を取り、貸倒れが発生しないようにしていた。保証人が即弁済できなければ、その保証人に対して融資を行い、その融資金で返済させ、29.2%の金利で貸し付けていたのであった。それでも発生する貸倒れに対して、異常としか言いようがない「腎臓売って返済せよ」と迫ったのであった。
今回の破綻は、デタラメな絡め手融資を行う日本振興銀行の融資の延長線上にあるが、邪道な商工ローン業者への天罰でもあろう。

破綻への道は、貸金業の邪道の道を歩んだ商工ローン貸金業者の道であろうか?

[ 2011年1月26日 ]
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