アイコン 日本軍の気品にあふれた姿を伝えるためインド人が映画化 インパール作戦

インド人の映画監督が今秋、第二次世界大戦で日本軍が大敗を喫したインパール作戦の激戦地、インド北東部マニプール州で、おじの日本兵の足跡をたどる女性を主人公にした映画を制作する。
気品にあふれた日本兵の姿を伝え、現地の人々の記憶に残るエピソードを紹介したいという。
メガホンをとるのは、モーヘン・ナオレム氏(34)。「マイ・ジャパニーズ・ニース」(私の日本人のめい)と題された作品では、インパール作戦で戦った 日本兵のめい「アサダ」が戦後、現地を訪れる。

すると、おじが夢の中である村を訪ねるようアサダに呼びかける。そこでアサダは、日本兵らが残した数々のメモや日記を発見するというストーリー。インド人の手でこうした映画が制作されるのは初めてで、撮影は今秋から始めるという。

ナオレム氏は「マニプール州の人々には、日本人とともに戦った記憶がある。日本は今も多彩な援助をしており、日本人に親愛の情を示したいと思っていた」と述べた。
同時に「日本兵の記憶が徐々に人々から失われている」といい、「欧米では日本兵の残虐行為や犯罪に関する話が書き立てられているが、日本兵は気品があり親切な心を持った人々だった」としている。
ナオレム氏は同州での公開後、日本での上映に向けて協力者を探している。
アサダ役には、大阪府箕面市のモデル、浅田結有さん(23)が挑み、今回がデビュー作。浅田さんは「インパール作戦のことは何も知らず、今回勉強した。日本の若い人にも知ってもらえるきっかけになれば」と話しているという。

インパール作戦:
 第二次世界大戦中の1944年3~7月、ビルマ(現ミャンマー)とインド国境地帯で連合国のイギリス軍側から中国への補給路を断つこと及びインドを植民地支配するイギリス軍をたたくことを目的に日本陸軍が行った戦争。ジャングルの中での無謀な計画のため敗退、日本軍約9万人のうち多くが戦死または病死した。叔父も当作戦で戦死した。
参照:サンケイ

勝てば官軍として、敗軍を虫けらのように扱うが、戦う人にはそれぞれに心もある。
 

[ 2012年6月25日 ]
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