アイコン 水俣市長選挙 田上氏の弔い合戦となり西田氏当選

任期満了に伴う水俣市長選の投開票が行われ、無所属新人で前市議の西田弘志氏(55)が元市長の江口氏との戦いを制し初当選した。西田氏は前市長の宮本市制を継承する。

当選挙の前哨戦では、
副市長の田上氏が、宮本市長の引退表明を受け11月に副市長を辞任、市長選立候補を表明したことに始まる。
二つの側面が・・・

一つは、その田上氏が自殺したことにある。田上氏は12月19日に立候補を表明、自民党水俣支部に対して推薦願を裏から表から提出した。しかし、12月28日になり、江口元市長(市議)が出馬を表明、自民党に推薦願を提出した。
自民党は、後出しの江口氏を推薦することに決定、田上氏は1月6日になり、「保守分裂選挙は本位ではない」として立候補断念を表明した。

1月17日になり、前回の市長選では、江口市長を破り宮本市長誕生の立役者の一人であった西田氏が立候補を表明した。残念なことに市長選挙公示日の2月2日に田上氏が自殺した。

田上氏自殺の同情票が西田氏に流れ、選挙が弔い合戦の様相を呈し、立候補表明が出遅れたにもかかわらず票の雪崩現象を起こし、西田氏が当選を果たした。

二つ目は、
前回市長選の争点であった産廃最終処分場建設問題、当時の江口市長に対して断固反対を表明して立候補した宮本氏が当時現職の江口氏を破り当選を果たしていた。
当然、自民党はいろいろな利権が転がり込むことから開発が大好き、大きな金も動く、再度産廃最終処分場建設復活を目論む江口氏を推薦した。
田上氏については、産廃最終処分場建設に断固反対した宮本市長に任ぜられた副市長であり、田上氏推薦は自民党内部に違和感が強くあった。推薦は江口氏の立候補表明により、異論も少なく江口氏に決定した。
しかし、水俣市には、前回選挙の争点やしこりがまだ生きていた。副市長の立候補断念を受け、前回市長選で、宮本市長誕生の立役者の西田氏が立候補を表明した。若い江口氏が市長当時、強引なやり方で、産廃最終処分場建設を推進させようとしたことに対して、選挙では、市民が再度ノーを突きつけ、西田市長を誕生させた。

江口氏の敗因は以上二つであろうが、この4年間、ノーを突きつけた市民に対して、江口氏自身が力を頼りにするばかりに、何も変わらなかったことに尽きよう。
産廃問題には、右も左も関係ないことがわかっていなかったようだ。それでも理解してもらいたければ、自ら多くの機会を儲け、こまめな説明会により、意思疎通を諮ることしかない。そうした汗をかかずして、市長当時の思いのまま選挙戦に打って出たことが敗因だろう。
 

[ 2014年2月10日 ]
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