アイコン 在日韓国人の韓国における苦闘 亡くなったリセさんに見る

在日の苦闘が荒々しく漂白し続ける韓国、育った文化の違い、内なるヘイトスピーチ・・・。
朝鮮日報は、リセさんの韓国における苦闘を次のように掲載している。
今月7日、ガールズグループLADIES’ CODEのメンバー、クォン・リセさんが23歳の若さでこの世を去った。3日午前、高速道路で交通事故に遭い、病院に搬送されて4日後のことだった。
 LADIES’ CODEは、昨年3月にデビューし、ミニアルバム2枚とデジタルシングル2枚をリリースしたが、歌謡界でブームを巻き起こしたグループではなかった。そんな中で世間にその名が知れ渡ったメンバーがクォン・リセさんだった。
 リセさんは2010年、MBCテレビのオーディション番組『偉大なる誕生』に出演した。在日韓国人4世のリセさんは09年、ミスコリア日本で「真」(グランプリ)を受賞したことが知られ、注目を集めた。

オーディション番組で、破竹の快進撃を見せるや「実力よりも外見で選んでいる」「歌手のオーディションなのか、ミスコンテストなのか」などと批判する声が殺到した。だが、さまざまな罵詈雑言(ばりぞうごん)にもかかわらず、リセさんは同番組で12位にまで上り詰めた。
故人となった今、その死を悼むコメントが相次いでいるが、生前のリセさんはネット上の悪質なコメントに苦しめられていた。

福島県で生まれ育ったリセさんを「日本女」と呼ぶのは序の口だった。
リセさんに関するニュース記事のコメント欄には、とても口にできないような悪口があふれていた。
悪質なコメントは、アイドルやガールズグループにとって避けて通れない宿命だ。
出所の分からないうわさ話はどうすることもできない。

リセさんは日本で、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の朝鮮学校に通った。リセさんの話す韓国語に北朝鮮なまりが見られるのはそのためだが、これが原因でリセさんには「アカ(共産主義者)」という悪口が浴びせられた。リセさんは「家の周りで韓国語を学べる場所は朝鮮学校しかなかったため、ちょっとの間通っただけで、北朝鮮とは全く関連はない」と釈明した。小学校時代に民族舞踊を習ったリセさんは、北朝鮮の故・金正日(キム・ジョンイル)総書記の誕生日パーティーに招かれ、舞台に立ったこともある。このような事実をもって「(リセさんの)容貌が北朝鮮応援団に似ている」と発言する人もいた。 リセさんが16歳のときに他界した父親は、リセさんが中学校に入学したとき、朝鮮総連から在日本大韓民国民団(民団)に移った。

リセさんは生前、つたない韓国語でこう言ったことがある。
「幼いころから歌ったり踊ったりするのが好きだった。歌手になるならば、韓国でデビューしたかった。これといった理由はないが、いつも韓国に憧れていた。日本に進出するとしても韓国人として、韓国を知ってもらうために貢献したい」
 心ないコメントは、リセさんの死後にも寄せられた。
「LADIES’ CODEではなく、LADY DEATH CODEだ」
「死ぬ1週間前にサインをもらったが、値段はどのぐらいになるか」
といったものだ。

一方、今回の事故ではリセさんのほか、メンバーのコ・ウンビさん(22)も亡くなったが、あるネットユーザーはウンビさんの名をかたり、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)「カカオストーリー」で「皆さん、私は生きています」「死んだというのはうそです」といった文章とともに、自撮り写真や殯(ひん)所(出棺まで棺を安置する場所)の写真をアップしてあざ笑った。
 リセさんは亡くなる1年前の昨年9月6日、国会で行われた「アンチコミュニティーに打ち勝つ善プル(ネット上の善良なコメント)コミュニティー」キャンペーン発足式に出席した。
ネット上にはびこるアンチコミュニティーサイトや悪質なコメントの代わりに、互いにやさしい言葉を掛け合うコミュニティーサイトを増やしていこうというキャンペーンだった。
このとき、リセさんは国会の政論館で、自分に対する悪質なコメントを読み上げた。

9日に告別式を終えたリセさんは、この世に永遠の別れを告げた。事故原因を究明するため、事故を起こした車は国立科学捜査研究院に送られた。しかし、悪質なコメントは今も、ネット上のあちこちに、ごみのようにあふれている。
以上、朝鮮日報原文

この朝鮮日報の記事にしても、リセさんの自らの意志が存在しない幼少期の過去を暴きだし、一方で糾弾の悪材料を流しているとも言える。(書く自由も書かない自由も朝鮮日報の報道の自由であるが・・・)
在日の人は、その存在の拠り所を、韓国でも日本でもますます希薄化させているようでならない。そうした人種的な偏見に基づいた考え方や過去に囚われ生の糧とする国家そのものがグローバル化する中で、意味をなくしている時代でもある。当然、グローバル化に対するアンチテーゼとしてナショナリズムが台頭するのは必然のことであるかもしれない。

しかし、現実は、通信や交通網の急激な発達により、グローバル化が一気に進む中で、国家という概念そのものが300年後存在するかどうかは誰にもわからない。文化遺産として残っている可能性はあろうが・・・。国家という利権により300年後もこのままでは、あまりにヒトがかわいそうだろう。
因みに、ボーイング247が世界で始めて10名の乗客を乗せ初飛行したのが1933年、まだ100年も経っていない。
マイクロソフトがMS-DOSとWindowsを統合したのが1995年、XPが開発されたのは2009年に過ぎないにもかかわらず、その情報通信スピードと対応機器は飛躍的に発展してきた。人のガチガチ頭は世代交代が進む中、その価値観とともにすでに過去のものとなろうとしているのも現実だ。

<リセさん>
生年月日:1991年8月16日
没年月日:2014年9月7日(満23歳没)
出身地:福島県福島市
学 歴:成蹊大学経済経営学科
在日でありながら韓国人からのヘイトスピーチに苛まれ続けた韓国での芸能活動だったようだ。残念ながら、亡くなったにもかかわらず、日本でもリセさんに対するヘイトスピーチが発せられていることに対しては、憤りすら感じられる。
当、朝鮮日報の記事がリセさんに対するレイクエムとなるのだろう。
 

[ 2014年9月16日 ]
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