アイコン 毛沢東の夢ふたたび・文化大革命の悪夢・1

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こんな国に憧れてる政党が日本にあることが信じられません。

毛沢東

(上間 明彦)
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シナ人民共和国の建国のころ、独裁者毛沢東は、
「わずか数年でイギリスを追い越すアルよ」と
デタラメな大躍進政策を実施して大失敗しました。

シナの農村部がほぼ壊滅状態になってしまったのです。

それだけでも建国期のシナには大ダメージでしたが、これにより失脚した毛沢東は、
己の復権のために、次に「文化大革命」(文革)をしかけます。

1966年から77年まで10年以上、シナ全土で社会的騒乱が続き、
インテリが多数殺され、文化財が多数破壊されました。

農村の破壊の次は、都市部の破壊。まったく呆れる愚行です。
こんなんでシナが滅亡しなかったのが不思議なくらいです。

●毛沢東は自分の負けを認めなかった

愚かな空想的社会主義の実験、「大躍進政策」は大失敗に終わり、
独裁者・毛沢東は自己批判をして、政権中枢から退きました。

そのあと実権を引き継いだ劉少奇(りゅうしょうき)や、
鄧小平(とうしょうへい)らは、壊滅的なシナの建て直しに着手します。

具体的にいいますと、社会主義の計画経済を見直して、
農家に自主的な生産を認めて、モチベーションをあげさせました。

社会主義経済ではうまくいかないので、部分的に、
市場経済を導入し、それなりの成果をあげたのです。

こうして毛沢東の空想的社会主義で大ダメージを受けたシナは、
少しずつですが立ち直る気配が出てきました。

ところが実権を失った毛沢東はこれが気に入りません。
自分が社会主義で大失敗をして、そのあと自由化がなされ、
しかもうまくいっているようだ。これは屈辱です。

毛沢東はこの動きを「反革命」であるとみなしました。

毛沢東

●気に入らない奴らはすべて「反革命」だ!

しかしいくら腹を立てても、毛沢東は実権を失っています。
そこで彼は一計を案じます。自分は動かずに「子分」を使うのです。
毛沢東の子分は、林彪(りんぴょう)という軍人でした。

こいつに、劉少奇や鄧小平を攻撃させたのです。
林彪は民衆に「反革命勢力」を批判せよと煽りました。
「反革命勢力」を打倒せよと煽りました。
「反革命勢力」とは誰のことでしょう?

当時、実権をもっていた劉少奇や鄧小平をはじめ、
それを支持する共産党幹部、知識人、旧地主の子孫などです。

彼らは「反革命勢力」であるということになりました。

ようするに毛沢東の実権を奪った勢力、毛に逆らう勢力、
毛沢東が気に入らない人たちのすべてが、
林彪によって「反革命勢力」と決めつけられたのです。

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[ 2016年10月 8日 ]

 

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