アイコン えびの市の古墳出土 「鮫皮巻」の大刀 権力者象徴の刀

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神様は(宮崎県)高千穂の峰に降り立ち、後、宮崎神宮に居を構え、大和へ船で渡ったと伝えられている。

宮崎県の南西部で霧島一帯にあるえびの市の島内地下式横穴墓群の139号墓(6世紀前半、古墳時代後期)から出土した大刀は、柄の部分が「鮫皮巻」と呼ばれるエイの皮を巻いた構造だったことが分かり、市教育委員会が24日発表した。
国内最古の出土例。朝鮮半島製で、東アジアでも実物が確認できる最古級の資料という。
鮫皮巻の大刀は当時、高位高官だけが身に着けたとされ、現存する例では聖武天皇の遺品とされる東大寺大仏殿の鎮壇具がある。市教委は「被葬者は朝鮮半島との政治的な関係があり、大和政権の中枢にも深く関わっていた人物の可能性が高い」としている。

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以上、東京新聞など参照

宮崎県美郷町南郷(宮崎県東北部で延岡市に近い)には、今から1300年ほど前、朝鮮半島の南扶余にあった百済が新羅を支援した中国軍に滅ぼされ、王の禎嘉王は、長男の福智王、次男の華智王とともに日向の国(宮崎)に逃げてきた。朝鮮から追ってきた敵軍を殲滅したという伝説が残っている。
百済滅亡は660年、ほぼ合致する。

宮崎県西都原古墳群では、5世紀~6世紀前半の古墳で、小刀とともに見つかった鍛冶具2点に、銀製の2条波状文様の象眼が装飾されていたという。
鉄鉗の接続部には、太陽を表す日輪の文様もあり、波状文様は朝鮮半島で出土する大刀にあり、日輪は国内の大刀で見つかっており、(現えびの市の)鍛冶職人の集団が、大和や朝鮮半島と交流があったと考えられるという。

神話の世界より邪馬台国はいずこ。

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[ 2016年10月25日 ]

 

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