南京事件 難しいグレーゾーン捕虜殺害
日本軍の南京入場は確かに歴史的事実だが、30万の南京虐殺事件など、荒唐無稽、まったくの中国共産党による作り話だということは、わざわざAPAホテルに泊まって本を読まなくても分かる。
(農と島のありんくりん)を読むと、もっと分かる、という話である。
農と島のありんくりん
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移り変わる自然、移り変わる世情の中で、真実らしきものを探求する
南京事件 難しいグレーゾーン捕虜殺害
気が進まないのに、いつの間にか南京事件の暗く深い森に迷い込みそうになっています。
おっと危ない。今日で締め括ってしまいます。
実は、ブログを始めて8年になりますが、南京事件についてはおそらく一回もやっていないはずです。
やりたくないテーマなのです。
なぜかと言えば、ひとことで言えばらちがあかないテーマだからです。
たとえば、中国と日本の「大虐殺」派筆頭の東大の加藤陽子氏は9年前に出した『満州事変から日中戦争へ』という本の中で40万人説を出していますが、荒唐無稽にもほどがあります。
こういう人とは、中国共産党・政府と同じでまったく議論そのものが成立しないと思います。
最後になると、「侵略した土地で1人でも殺せば虐殺だ。侵略した日本が悪いぃぃ」という感情論になるのは目に見えているからです。
南京事件や慰安婦問題かイヤなのは、事実の探求ではなく、初めから結論を用意した政治闘争になっているからです。
そして、中国共産党の豊富なプロパガンダと、日本外務省の比類ない無為無策によって、宣伝の主要な場を欧米、カナダなどに移行し、「南京アトロシティ」「南京マサカー」として完全に根付いている現実があります。
また、1930年代と現代では人権感覚が隔絶しており、兵士の殺害についても極めて狭く解釈されるようになっています。
これは慰安婦問題でも見られたことで、管理売春が世界の一般的制度だった戦前と現代を並べて、今のラジカル・フェミニズムの規範で過去を裁こうとしています。
当時の人々は、当然のこととして当時の価値観、当時の制度と法の下で生きているわけですから、本来後世の私たちは腰をかがめて、当時の人たちの視線に立たねばならないはずです。
そこで、私はひとつの価値尺度として、国際法的にはどうなのだろうかという視点を考えてみました。
というのは、戦時国際法であるハーグ陸戦条約・ジュネーブ条約は80年前と今も共通だからです。
私が今回言っていることは、どこそこで日本兵が何百人殺したというレベルの話からいったん離れて(後述しますが)、それが「組織的・計画的虐殺なのか、それとも戦闘行為なのか」ということです。
私は計画的大量虐殺はなかったと思います。日本軍に30万人という那覇市人口に等しい市民を丸々殺害し、処理する能力も意志もありませんでした。
1937年12月に南京城陥落で喜ぶ日本兵。https://the-liberty.com/article.php?item_id=10397
かといって、日本がまったく白い手袋だったとも思いません。
掃討戦における捕虜の大規模な殺害、便衣兵摘出時の一般市民殺害は、日本軍側記録にも残されています。
戦闘員との交戦と違って、丸腰の捕虜と便衣兵はいわばグレーゾーンなのです。このことに触れないと公平さを欠きます。
やや詳しく見てみます。
南京戦において、中国軍が全面崩壊し、掃討戦に移った1937年12月14日から、日本軍は大量の中国兵を捕縛しています。
①第13師団 幕府山付近 ・・・1万4777人 捕虜(飯沼守日記)
②第16師団 堯化門鎮 ・・・7200 捕虜(第36連隊戦闘詳報)
③下関など南京北側 ・・・3096 捕虜 (第33連隊戦闘詳報)
④城内安全区摘出 ・・・約2000 便衣兵(佐々木到一私記)
⑤城外 ・・・数千名 便衣兵(同上)
⑥第9師団 南京北部掃討地域 ・・6670 便衣兵(歩兵第7連隊戦闘詳報)
⑦第6師団 下関 ・・・約5500 捕虜(第45連隊史・第6師団戦闘詳報)
⑧第6師団 漢中門外 捕虜と認めず・・・約1000名 捕虜と認めず(折田護日記)
⑨第114師団 南京城南部 ・・・1659 捕虜 (歩兵第66連隊第1大隊戦闘詳報)
⑩国崎支隊 江興州 ・・・2350 捕虜 (国崎支隊戦闘詳報)
・計 ・・・4万5000人
・うち処刑が記録されているもの①②③④⑤⑧⑨ ・・・計約4万人
・捕虜として認められて殺害された者①②③⑨ ・・・計2万6730人
これらは部隊の戦闘詳報と従軍した兵士の日記などによる数字ですが、ひとり単位までカウントされていても必ずしも正確ではありません。
これは戦闘詳報では往々にして戦果を誇大に書いてしまう人間心理が働くからで、上の表にある「佐々木到一私記」は有名な資料ですが、「当師団のみで5万人を解決した」と書いている部分もあります。
ですから、おおよその手掛かりとなる数字ていどに押さえていただきたいのですが、これに民間人で便衣兵と誤認された数を加えて、おおよそ4万人前後となります。
この数字に民間人被害数を加えたものが、秦郁彦氏などが唱える3.4万~4.2万という「中虐殺」説です。(『南京事件・「虐殺」の構造』)
入城式。戦友の遺骨を抱いている。
「便衣兵」は現代では死語となっていますが、中国特有の市民の姿をした兵隊です。今風に言えば、テロリストと言っていいでしょう。
私服を着ているのにいきなり爆弾を投げてきたりします。もちろん国際法違反ですが、中国はこれをおおっぴらに行ったために、日本はこれに悩まされ続けました。
この戦法が問題なのは、軍が一般市民までも「怪しい奴ら」とみてしまうことです。
米軍が4千人ものテロリストによる戦死者を出したイラク戦争を見れば、お分かりいただけるかと思います。まったくあれと同じ構図です。
レジスタンスがいけないというのではなく、大戦中のレジスタンスはドイツ軍からみればリッパなテロリストに写ったでしょうが、軍服は着ていなくても腕に腕章をしたり、揃いの徽章をつけたベレーなどをかぶっています。
レジスタンスは国際法的には「市民軍」(militia and volunteer corps )扱いを受けますが、正規軍同様に戦時国際法を守る義務は課せられていて、破ればただのテロリストとして裁判なし処分されても文句はいえません。
脱線しますが、よく「自衛隊はいらない。市民が守るんだ」と元気のいいことを言うリベラル文化人がいますが、そんなことをすれば侵攻軍によって裁判なし処刑されるのでお止めください。
武器もない、その扱いも知らない「市民が戦う」って、それって竹槍持って本土決戦をするってことですか(苦笑)。本気でやったら地獄でしょうな。
それはさておき、一方軍人はジュネーブ条約によって、捕虜の資格を持ちます。
脱走を企てたり、抵抗をしない限り、捕縛した側もやたら撃ってはいけません。
集めされた便衣兵。私服を着て民間人と判別不能。ヘルメットの跡などて判別したが、最後は雰囲気だったという。
では、この便衣兵はといえは、戦闘員が充たすべき以下の条件全部に違反していますから、アウトです。
戦闘員が充たすべき条件とは
①責任を持つ指揮官がいること。
②遠方から見てはっきりとわかる軍隊の徽章、軍服を着用していること。
③武器を隠し持っていないこと。
④戦時国際法を遵守した行動をとること。
1、To be commanded by a person responsible for his subordinates.
2、 To have a fixed distinctive emblem recognizable at a distance.
3、 To carry arms openly.
4、 To conduct their operations in accordance with the laws and customs of war.
南京戦において中国軍の司令官は、中国文化の「エライ奴から先に逃げる」という文化を発露して、真っ先に逃げてしまいました。
しかも「お前ら死守しろ」と言って、降伏すらしなかったのですから話になりません。
卑怯もさることながら、指揮官は敗北した場合、敵軍に降伏を通知せねばなりません。
白旗を持った軍使が敵陣に赴き、「わが軍は本日何時何分を以て貴軍に投降いたしました」ということを通告し、「分かりました。では何時何分を以て戦闘行為を中止しますから、武器を捨てて陣地から出てきてください」という答えを貰わねばなりません。
これが国際法的に「正しい負け方」なのです。
下の写真がシンガポール陥落時の英軍の降伏軍使の写真です。日本軍の先導者に率いられて白旗と国旗をもって従っています。これが文明国のスタンダードです。
英軍のシンガポール降伏。これが「正しい降伏」の仕方
南京戦の場合、あくまでも司令官・唐智生が降伏のための軍使を送って、降伏が日本軍司令官・松井岩根によって認められなければ降伏は成立しないのです。
よく勘違いされますが、兵隊が手を上げて投降した時点では捕虜としての要件を充たしていません。
本当に降伏する意志があるのか戦闘中では見極めがつかないし、武器を隠し持って攻撃されるかもしれないからです。
陸戦条約では投降した敵を殺傷することを禁じていますが、現実には中国軍のテロリストまがいの戦争をくぐってきた日本軍にとって、微妙なところです。
まとめておきます。
●投降兵(正規軍兵)
①武装解除の上で、捕虜として捕縛した投降兵を殺害することは違法。
②ただし、捕虜の敵対行為が原因で殺害した場合、状況により判断が[異なる。
③投降とほぼ同時に殺害した場合、戦闘中、戦闘行為の継続中ととるか、虐殺ととるかは個々に判断。
というわけで、私はこの捕虜殺害とされた約2万6千人に関しては、国際法的にも日本に非があると言われても仕方がないと思っています。
ただし、日本は当時捕虜条約を批准していなかったので、違法ではないとする説もあります。
南ベトナム・サイゴンの崩壊の日。逃げた兵士が捨てた軍靴や装備が散乱している。
さて、司令官が真っ先に逃げてしまったために、それでなくても士気が高いとは言えない中国軍は我先にとヘルメットを捨て、軍服を脱いで市民から服を奪って隠れようとしました。
このために日本軍は、本来想定していなかった「摘発」をするはめになりました。
この時に戦闘で興奮している日本兵によって、多くの誤認殺害がなされたと思われます。
民間人の人数に言及した資料としては、スマイス調査報告がありました。かなり問題のある資料なのですか、スマイス報告書の数字はこうです。
・農村部の一般市民殺害数(対象は江寧県の一部・・・推定1000人以下。
・都市部
「兵士の暴行」・・・2400人
「拉致」されたもの・・・4200人
計 死者3400人 拉致4200名
一方、安全区国際委員会という外国人居留者から日本大使館に提出された「南京暴行報告」によれば、安全区内における「殺人」は50名でした。
スマイス報告書は「拉致」が便衣兵摘発なのかどうかわかりませんし、もしそうだとしたら処刑された可能性があるわけでそれと重複カウントされた可能性があります。
したがって、農村部で1000人以下、都市部で2000~3000人(うち便衣兵の摘発が1000~2000人)、計3000~4000人ていどだと思われます。
また、この民間人被害者の相当部分、特に農村部の被害の多くは、軍規が崩壊した中国軍も関係していることは想像に難くありません。
また中国軍には督戦隊という味方の兵士が逃げないように、後ろから機関銃で撃つための特別部隊すらいました。
映画『スターリングラード』で冒頭にでてきますね。あのチャイナ・バージョンです。
この督戦隊が機銃を乱射して、軍服を捨てて逃げようとする自軍の兵士をなぎ倒していたという証言もあります。
私個人の推測としては、捕虜の違法殺害の2万6千人に、摘発時の誤認民間人殺害2000~4000人を加えた2万8千~3万人ていどだと推測します。
あるいは安全区国際委員会の民間人被害者50名が正しければ、一気に下がって2万6050人という事になりますが、なんともいえません。
「虐殺ゼロ」派は、捕虜が国際法要件を充たしていない、便衣兵処分は正当であるとしていますが、後者はともかくいったん受け入れた捕虜を裁判なし処刑したことはいかがなものでしょうか。
南京事件を、おおざっぱに見てきましたが、数字はとりようでいくらでも変化するので、あくまでも目安にすぎません。
問題は何度も繰り返しますが、「国家意思」の有無です。
便衣兵といい、督戦隊といい、戦争のルールがまったく違う相手と戦ったのが、当時の日本だったのです。
それは今に至るもまったく変わりません。
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