アイコン 盗人韓国政府、対馬の仏像を浮石寺には渡さず

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李氏朝鮮3代・4代目が、高麗時代に全国へ広まっていた仏教に変わり、儒教を統治に利用するため、当時1万寺あったとされる寺を38寺まで減らす大弾圧、焼き討ち、破壊し尽された。
山村にあった浮石寺は、焼き討ち破壊からは免れたものの廃寺となり、仏像や経典は略奪などで散逸してしまい廃墟となっていた。日本統治時代に日本の朝鮮統治政府である朝鮮総督府により修復された経緯がある。

長崎県対馬市の観音寺から盗まれた仏像について、韓国忠清南道瑞山市の浮石寺の所有権を認めた韓国の大田地方裁判所は、控訴審の判決が確定するまでは韓国政府が仏像を保管するべきだという申し立てを認め、ただちに仏像が韓国の寺に移されることはなった。

5年前、対馬市の観音寺から韓国人の窃盗グループによって盗まれ、その後、韓国で見つかった仏像について、韓国の大田地方裁判所は、1月、「もともとは中世の高麗時代に日本の倭寇に略奪されたものだ」という浮石寺の主張を認め、韓国政府に対して、引き渡しを命じる判決を言い渡した。

これに対して、韓国政府は、「仏像がしっかり保管されるか分からない」として、強制執行の停止を申し立て、同じ大田裁判所の別の裁判官が、2月1日までに、これを認め、仏像はこれまで通り政府の施設で保管されることになった。

これによって、仏像がただちに浮石寺に移されることはなくなったが、今後は、仏像の所有権を巡って高等裁判所で審理が行われることになっていて、韓国国内では、日本との間で外交問題にも発展している裁判の行方に関心が集まっている。

以上、報道
浮石寺らは倭寇が盗んだものとするが、李氏4代目ころには倭寇は日本側の取締り強化で衰退、その代わりに釜山など3ヶ所に交易のための日本人居留地が設置された。そうした居留地に、廃止された浮石寺から仏像などを盗み出した盗賊や両班らにより、持ち込まれた可能性が高い。仏像に焦げた跡があるとされるが、浮石寺も両班らにより一部焼き討ちにあった可能性すらある。
 

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[ 2017年2月 2日 ]

 

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