アイコン 中国、南シナ海に大型漁業監視船を常駐へ ベトナムなど反発必至

ベトナム戦争末期の1974年1月、旧南ベトナムが支配していた南シナ海の西沙(パラセル)諸島を、中国軍が南ベトナム軍の軍艦を撃沈して強奪、今では2600mの軍事空港も建設している。
中国は、先に「南シナ海は全部中国のものだ」と一方的に宣言、「南シナ海で操業する者は、いかなる国の者であれ中国の許可取得を義務付ける」と発した。

中国国家海洋局の機関紙「中国海洋報」が21日、その宣言を腕力で実行するため、南シナ海にある西沙諸島の永興島に、三沙市政府を置き、5000トン級の監視船を常駐させる方針と報じた。
中国は、南沙(スプラトリー)諸島でも、ベトナム・フィリピンなどと抗争しており、フィリピンがまだ確保している領域・海域から完全追い出しを狙い、フィリピンに対し、軍事・政治・経済で脅迫し続けている。

<中国とベトナムの関係>
中越戦争(1979年2月17日~ 3月16日)
ベトナム戦争後、中国の支援の下100万人超を粛清(=虐殺)したカンボジアのポルポト政権を、ベトナム軍が侵攻して撃破、崩壊させたことから、中国がカンカンに怒り狂い、ベトナム軍の主力部隊がカンボジアにいるのを見計らい、10万人超の軍隊をベトナムへ侵攻させ、ハノイ近郊まで攻め入り、破壊し尽くした。ベトナム軍の本体がカンボジアからハノイへ急遽戻り、中国軍を領土から追っ払い中越戦争は終わった。

ベトナム戦争(1960年12月~1975年4月)は、南ベトナムを米国・韓国などが軍隊を送りこみ支援、一方、北ベトナムは、中国・旧ソ連が支援した分断国家の統一を求めた内戦だった。
結果、べトコン、北ベトナム軍が南ベトナム政権や米軍を追い出し勝利した。
しかし、中国とソ連はベトナム戦争時の1969年、国境の黒竜江の珍宝島の領有を巡り、中ソ国境紛争が生じ、犬猿の仲となっていた。
ベトナムは、大昔から中国から支配を受けたり、やられており、ベトナム戦後は、国民性からソ連側に傾斜していた。

中国の歴史は3000年にわたり、群雄割拠時代も含め歴代の皇帝による支配域の拡大戦争の歴史でもあった。その血は今も脈々と流れている。

<おぼつかないアメリカオバマ>
米軍が南シナ海に対して、目を光らせなかったら、とっくの昔に南沙諸島含む南シナ海全域を、中国が支配していたと思われる。
今回の南シナ海の領有宣言は、そうしたオバマが、目を東アジア・東南アジアに対して光らせず、東シナ海における中国側の一方的な防空識別圏設定を黙認したばかりに、中国がドミノ理論の下、南シナ海の領有宣言を行った。一度、宣言したら、梃子でも動かさないのが中国でもあるが、宣言させたのは、オバマに原因があった。
中国が主張した南シナ海領域とは、はるか南方のシンガポール近くまでに達している。オバマは低落してしまった人気取りに明け暮れ、世界におけるアメリカの国益を近視眼的なGMの中国販売に見出しているのか大きく見誤っていると断言できよう。米国の民主党・共和党など関係ない大統領としての資質の問題だ。

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[ 2014年1月23日 ]
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