アイコン 世界最古のキトラ天文図は西暦300年頃の中国洛陽の空と

スポンサード リンク

文化庁は7月15日、世界最古とされる奈良県明日香村のキトラ古墳壁画の天文図(西暦700年ごろ)について解析の結果、古代中国の洛陽や長安付近で観測、製作された天文図をもとに描かれた可能性があると発表した。
 天文図の粉本(=手本)として有力だった「古代中国」説を裏付けた。調査成果は10月9日から飛鳥資料館で開かれる特別展で紹介される。
 キトラ古墳の天文図には、68星座約350個の星とともに天の赤道、黄道、内規(常時観測できる天空)、外規(観測可能な天空)の4つの円が描かれ、現存する世界最古の天文図とされる。

調査は、文化庁と国立天文台の相馬充助教、中村士元帝京平成大学教授らが実施。天文図の写真をもとに、星座の位置や天の赤道・内規と星座の位置関係などを詳細に解析し、観測時期や観測地の緯度を割り出した。
 相馬助教によると、天文図は西暦300年代に観測されたもので、観測場所は北緯34度付近。この緯度には古代中国でたびたび都が置かれた「洛陽」や「長安」があり、相馬助教は「洛陽や長安での観測をもとに製作された天文図が日本に輸入され、壁画に描かれた可能性がある」としている。
 一方、中村元教授の解析では、天文図の観測年代は紀元前65~40年ごろ。中村元教授は「当時は前漢の時代。渾天儀とよばれる観測装置を使い、都があった長安付近で、観測されたデータをもとに製作された天文図がモデルだろう」としている。
以上、

観測年代は、見える星座の動きはいまやすべて解析されており、コンピュータでキトラ天文図を解析すればすぐわかること。なぜに両者の違いがあるのかわからない。
遣隋使、遣唐使などにより、日本へ多くのこうした文化が入ってきているが、日本の歴史で、隣国の朝鮮から文化が入ってきたという記述はほとんどない。当時の大和の人も朝鮮は中国の属国と見なし、相手にしていなかったのだろうか。逆に大和が任那に儀養成機関を設けた歴史は宋書倭国伝に掲載されているが・・・。当時から、朝鮮から学ぶべきものがなかったのだろうか。

キトラ

[ 2015年7月16日 ]
スポンサード リンク

 

コメントをどうぞ

関連記事

  • この記事を見た人は以下も見ています
  •  
  • 同じカテゴリーの記事です。
  •   
スポンサード リンク
 
JCNET注目記事!
PR いま建設業界の求人が急増中、当サイトおすすめのワークポートが便利です。


PICK UP

↑トップへ