アイコン 外国人が違法行為で本日逮捕され、名護署に拘束されているとのこと。

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(手登根 安則)
https://www.facebook.com/bogey.tedokon

速報です。

本日逮捕され、名護署に拘束されているのは
キムさんという朝鮮人とのこと。
罪状は高江の路上で牛歩運転を繰り返し、それを制止しようとした警察官に車を接触させ公務執行妨害罪で現行犯逮捕されています。

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現在、名護署の前では「仲間を返せ」と沖縄サヨクが沸いており
国道58号線を渋滞させています。
また歩道上に車を乗り入れ歩行者への迷惑となっていますが、暗くなった今もそのまま路駐しています。
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もうムチャクチャです。
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昭和48年、第4次中東戦争が勃発、日本をオイルショックが直撃し、日本中のスーパーマートからトイレットペーパやティっシュ等が消えた。

 当時の日本には石油の備蓄は20日分しかなかった。危機感を持った日本政府は国家による石油備蓄(備蓄目標・150日分)を計画、大規模な国家石油備蓄基地を日本の海岸地帯数か所(沖縄・鹿児島・長崎・福岡・福井・北海道)に計画した。

 最初に国家備蓄計画を受け入れたのが沖縄県(西銘順治知事)だった。

 現在のうるま市平安座島と宮城島の間を埋め立てて10万トンクラスの大型タンク約45基が新設された。「現在の沖縄石油基地株式会社」である。

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 当然、地元とでは反対運動が起こった。「金武湾を守る会」である。

 反対派の人たちは、石油タンクが壊れて石油が海に流出したら、沖縄の海が汚染される、金武湾を守れと叫んで、激しい反対運動を展開した。それでも、日本 の国民の生活と産業を守る国家石油備蓄計画は予定通り進み、現在は平安座島だけで60基以上の石油タンクに石油が備蓄され、日本のエネルギー産業と日本国 民の生活を守っている。

 あれから40年近く経つが、一滴の石油も沖縄の海を汚すこともなく未だに健在である。

 当時、私は23歳という若さだったが第1号タンク建設(石川島播磨重工)の末端の現場員として工事に携わり、沖縄の人と出会い、反対派の人たちとも交流し、お互いの立場を尊重し合った。沖縄と長い付き合いの始まりだった。

 今、思い出すと、軍事基地と石油基地の違いはあっても反対運動は「のんびりとして、のどか」なものだった。

 少なくとも、反対派に県外、国外の人はいなかった。反対派のほとんどが金武湾周辺地域の住民による自主的なものだった。反対運動でも周辺の人に迷惑を掛けるような抗議活動は一切なかった。

 今の、辺野古、高江の反対運動の人たちを見ていると悲しくなるし、激しい怒りが湧いてくる。

 ボギー手登根さんの今日の投稿に、いいね!1126人、シェア225人、凄い数です。どんどん仲間の輪が拡がっています。いつの日か反日新聞(沖縄タイ ムス・琉球新報)を超える日が来ることを信じて、いいね、シェアを続けていきたい。ボギー手登根さん、貴重な投稿ありがとうございました。「中山洋二」

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[ 2016年9月 7日 ]

 

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