アイコン 山城氏の「ゲリラ戦術」を破綻させた添田の暴走

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沖縄のマスコミが巧妙・狡猾に演出してきた、可哀想な市民VS非道な機動隊という化けの皮が剥がれようとしています。

皮肉にも彼等(反日腐れ左翼・共産党)等が起死回生として放った「土人発言」がきかっけとなったんです。SNAやインターネットで大量に流れる市民と称する暴徒による数々の違法行為が暴かれようとしている。

それは89歳の文子おばあだって例外ではない。
https://www.youtube.com/watch?v=BM9wKqufmAA

(これが沖縄マスコミが市民と称する怒人です)
https://www.youtube.com/watch?v=BmlUEPQacmM

(農と島のありんくりん)を読んで、賢い日本人になりましょう。

農と島のありんくりん
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山城氏の「ゲリラ戦術」を破綻させた添田の暴走

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どうしてここまで高江の運動は、頽廃してしまったのでしょうか?
昨日の「ネトウヨハンター」と称する人のコメントを読んでふと感じたのですが、彼らもまた「高江の反対運動の暴力化」という事態に、自分でも驚いているかのように見えます。
だから、現実を見たくないので、「第9条を守れば平和だ」みたいな抽象論に逃げているともいえます。
ちなみに昨日リンクをアップした高江での山城氏に指揮された暴行現場は、8月5日に撮られたものですが、もはや一線を越えています。
https://www.youtube.com/watch?v=snc4jV_uGII&feature=youtu.be
https://www.youtube.com/watch?v=8eS4o-CxyjI&feature=youtu.be

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単に法の枠を超えたというだけではなく、彼らが運動内部の一線を超えたのです。
これを見ていた琉球新報記者は(動画にも写っています)、「揉め事があった」と書き流しています。
しかし、そんな暴力に寛容なメディアこそが、結局反対派の中にある「自分たちは正義なのだから何をしても許されるべきだ」という歪んだ考え方を助長したのです。
元々沖縄「平和運動」の中には、自分たちは「いいこと」をしているんだから、警察は見て見ぬふりをしてくれる、という奢りに似た感覚がありました。
確かに、彼らが日々やっていたシュワブのゲート前などの米兵への日常的いやがらせを、県警は表面的に規制したふりをするだけで放置し続けてきました。
高江においても初期においては、同じような反対運動と県警のあうんの呼吸とでも言うべき馴れ合いがあったと思われます。
それでなくては、県道を完全に車両で塞ぐようなまねができるはずがありません。

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出典不明 添田充啓
これを一変させたのは、、「しばき隊」の添田充啓の高江における登場です。
「しばき隊」は、本土で在特会狩りをしていた暴力団体です。
彼らの「狩り」の様子の映像をリンクしておきます。
上の山城氏たちの政府職員を取り囲む様子と較べると、あまりに酷似していることに驚きます。
https://www.youtube.com/watch?v=X2471cxZzbk
「しばき隊」は、多数で少数の敵対者を逃げられないように取り囲み、その壁の中で殴る蹴るを常態化させていました。
そして、勝利しました。
添田は、自分の成功体験であるあからさまな暴力を高江に持ち込みました。
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上の写真は高江における添田ですが、横にいて警官と何か会話しているのは山城氏のようです。
「ねぇねぇ、山城さん。なんなのこの男?かんべんしてよ」「いや、オレはさ、頼まれちゃってさ。大丈夫だから」、とでも言っているのかもしれません。
こういう反対運動リーダーと警備陣のなんとも言えない馴れ合いは、本土でも沖縄でもよくあることです。
一方、添田は腰に手を当てて、入れ墨を隠すふうもありません。
添田はこのような警備とのあうんの呼吸を熟知していました。
この沖縄でも、彼ら流の流血路線が見逃されるはずだとタカをくくっていたはずです。
添田は7月に反ヘイト法が成立してしまい、暇をもてあましている所を、社民党の福島瑞穂、池田幸代、そして辛淑玉たちに「沖縄は燃えてるよ。行ってみない」と誘われました。
言われた添田も、いままでのよう在特会狩りの血まみれの裏ビジネス業界から、もっと陽の当たる坂道を登って、いっぱしのリベラル人士の顔も持ちたいと思っていたようです。
あるいは、沖縄における基地利権の匂いでも嗅ぎ当てたのかもしれません。
いずれにしても、沖縄の反対運動にも添田を受け入れる空気がありました。
それは「平和運動」の側が、当時、深刻な「兵隊」不足に悩んででいたからです。
日曜日には大勢来ても、日常的に高江に常駐できる者はごくわずかで、工事関係者はウィークデイに仕事をするのですから、押される一方になりかかっていました。
しかも、本土から来る支援は老齢者ばかり。
「反ヘイトで頑張ったイキのいい若い衆がいるよ」と福島氏から声をかけられて、山城氏は一も二もなく、ろくに添田や「しばき隊」のことを調べもせずに迎え入れてしまったようです。
ところこの人物によって、高江の現場の雰囲気は一気に変化します。
暴力が前面に飛び出したのです。
従来の高江紛争において、逮捕者は思いの外少なく、すべて拘留延長が認められていませんでした。
しかし、添田が作り出した暴力と血の匂いのする<空気>は、着実に山城氏たちの「非暴力路線」を蝕んでいくようになります。
山城氏の今までの戦略は、ゲリラ戦のように山を自在に使って出没して工事を妨害し、警備陣を翻弄しくたびれさせ、工事関係者たちに厭戦気分を起こさせることでした。
この間に、「警備陣の暴力」を全国に訴えて世論を喚起し、世論の力で「政府はやりすぎだ。高江にヘリパットを作るのはおかしいんじゃないか」という気分をかもし出そうとしました。
この戦術は見事に当たって、政府は苦しい立場に追い込まれていました。
これは山城氏のアイデアというより、オーソドックスなゲリラ戦術で、かつて北ベトナムは米国にこの方法で勝利しています。
米国を泥沼の戦場に引きずり込み、兵士たちに厭戦気分を起こし、国内に反戦運動を爆発させ、米国内部からベトナム撤退に導いたのは、周到な北ベトナム労働党の方針でした。
このゲリラ戦術をそのまま踏襲したのが、山城氏です。
山城氏はN1裏側地域を山岳根拠地にして、「兵士」たちを縦横に駆使して、工事側の補給路を車両や検問で封鎖しました。
そして地元紙はここぞとばかりに「過剰警備」を叫んで、<平和を希求する非暴力市民たちvs残虐な機動隊>という構図を意図的に作り上げました。
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すべては山城氏の思惑通りに順調に進んでいました。
山城氏がバカでなければ、最高裁判決が敗訴に終わるのは見えており、1月には工事が再開されます。
山城氏はそれを読んでいました。
このまま年末から来年まで「ゲリラ戦」で粘ることができれば、政府側は辺野古工事警備と二正面となり、厳しい対応を迫られます。
あと2カ月、たった60日間持久できればよかったのです。
しかし、ここで山城氏は痛恨の誤りを犯しました。
それが「しばき隊」添田たちが政府職員に重傷を与えたことで逮捕されたことです。
この添田暴行事件は、政府に攻勢をかけるきっかけを与えてしまいました。
そしてあろうことか、山城氏本人も添田に影響をうけてしまったのです。
山城氏は、いままでの非暴力路線を捨てて、むき出しの暴力による抵抗運動を開始してしまいます。
そして、今まで控えていた訓練場内への侵入を開始します。まさに自滅の道です。
政府は敏感に反応し、従来から機会を狙っていた山城氏逮捕に踏み切ります。
そこまでに、警察は山城氏について大量の違法行為の証拠を集めており、逮捕のタイミングを狙っていたのです。
かくして山城氏は逮捕され、一斉に家宅捜索の手が伸びました。
県警から家宅捜索を申請された地裁裁判官は、机に積み上げられた違法行為の物証の数々に声を失ったことでしょう。 警察は山城氏のような重要人物を逮捕する場合、「兵隊」とは違い、逮捕した後に立件できるかを考えます。
立件し裁判に耐えられるとにらんで、山城逮捕に踏み切ったのです。
今回の「土人発言」事件は、山城逮捕に対する地元紙と共産党が仕掛けたカウンターだったわけですが、かえって反対派の違法行為をあぶり出される結果になりそうです。
 



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[ 2016年10月25日 ]

 

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