アイコン 菅元首相の岸田首相批判 派閥領袖は降りるべしと

Posted:[ 2023年1月12日 ]

菅前総理が10日、「総理でありながら派閥の会長を続けるのはいかがなものか」と。

菅前総理は突如「総理大臣とは国民全体の先頭に立って汗を流す立場にあると考えている。ですから、歴代総理大臣の多くの政治家は派閥から出て総理大臣を務めていたのではないか」、「今の状況というのは、国民の声が政治になかなか届きにくくなっている」と苦言を呈し、2期目出馬を断念させられた菅前首相が反撃の狼煙を上げた。
その裏には、麻生氏べったりの岸田氏の動きへの批判があるようだ。

菅前首相は5日、2月5日投開票の北九州市長選で、自民系会派などが推す元国土交通省官僚、津森洋介氏(47)を14日にも応援のため北九州入りを予定していたものの、応援会場に武田良太議員も出席することがわかり、チャチャが入り菅前首相は出席を断念した。その裏には、津森洋介氏への武田良太議員の影響力を排除したい麻生派の思惑が交錯している。

菅氏が2期目を断念したのは麻生氏と安倍氏の密約による菅氏降ろしによるもの。菅氏支援に動いていた二階派は数の論理で冷や飯を食うことになった。菅氏としても二階氏側から北九州市長選の応援を依頼されたら断れない。そこに立ちはだかったのが菅降ろしに動いた麻生氏、麻生氏をバックにした岸田氏、今後、岸田降しが始まるかもしれない。

 



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北九州市長選挙、過去、麻生と武田(二階派)の戦いが2度繰り返されていた。
第一ラウンドは、
鳩山邦夫議員(自民党無派閥グループ)の死去に伴う2016年10月の補欠選挙、息子の鳩山二郎氏の弔い合戦となったが、中央でも福岡でも犬猿の仲だった麻生太郎氏+古賀誠氏が珍しく手を取り合い自民県連会長の息子の出馬を支援、一方、二階派・武田氏が二郎氏を支援、元々弔い選挙、鳩山家のブリヂストンという強固な地盤を背景に地元企業の多くが支援し、小池都知事も駆けつけ、二郎氏が圧勝した。二郎氏はその後、二階派に入った。
(麻生氏は首相時の2008年9月の総選挙で民主党に大敗、二郎氏の叔父の民主党・鳩山由紀夫に負けた経緯もあるが、由紀夫氏の弟の邦夫氏は自民党内で派閥横断的なグループを形成していた)(残念ながら二郎氏は強固な地盤がありながら、統一の福神漬になっていた)

第2ラウンドは、
この時、麻生氏側から福岡県知事の小川氏に対して、自民県連会長の息子氏の支援要請を行ったものの知事は動かなかった。そのしこりが2019年4月の知事選で露呈。麻生氏は知事選に対立候補として武内和久氏(51/厚労官僚OB)を擁立し、小川県知事降ろしに動いた。
しかし、小川知事を二階派の武田氏が支援、九州電力関係者の支援も元々あり(九電は福岡七社会のボス)、麻生氏のあからさまな対立候補擁立に県民も反発、3期目となる小川氏が圧勝した(小川知事は2021年病気により辞任し、現在は服部氏が福岡県知事)。

麻生炭鉱財閥の倅、吉田茂の孫、そうしたカバンと看板を持つ麻生太郎氏は我侭なお坊ちゃま、初当選しても地元への挨拶回りなどせず、地元で反感を買い2回目の選挙では落選している。そうした我侭な性格が高齢になり再び浮上しているようだ。

 今回は2月の北九州市長選挙、元々北橋市長(69歳/統一の昔からの漬物)が5期目を狙っていたが、麻生氏や自民県連が多選に難色を示し、立候補を取りやめた経緯がある。
4期目の選挙では麻生氏が北橋氏に難色を示したものの県連が動かず、麻生氏も擁立できず、北橋氏に散々嫌味だけ言い放っていた。
麻生氏の地元の飯塚市含む筑豊地区は、元々北九州市の産業勢力圏であったが、福岡に近い飯塚市は今では福岡市圏に近い存在。麻生グループ企業の多くが福岡にあり北九州は少ない。高島福岡市長は麻生氏の小判ザメだが、福岡市には山崎拓元自民党副総裁の流れもあり、福岡市議会も麻生氏の一枚岩ではない。
昔の炭鉱時代のように北九州にも影響力を及ぼしたい麻生氏はその力を背景に動いているが、武田氏も筑豊の田川市を地盤にし、北九州への影響を誇示している。
福岡では麻生派と二階・武田派の戦いだが、中央ではそのまま麻生×二階派の戦いでもある。
いまや自民党は党内の政策論争ではなく、大臣ポストをめぐる権力争いに終始し、昔の面影はまったくない。


 

 


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