アイコン 第2回・大石知事に捧ぐ公開質問状

Posted:[ 2025年12月12日 ]

大石県知事

大石知事殿、「理解を得る努力」を、そろそろ実演していただけませんか?**
前回の説明会での大石知事の応答を拝見し、どうしても確認せざるを得ない疑問が山ほど湧いてきました。
そこで今回は、知事の言葉に敬意を払いつつ(払っているつもりではあります)、
あらためて 公開質問状・第2回 をお送りします。
丁寧な言葉で濁しても、本質は変わりませんので、今回は少しばかり直球でいきます。

 



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石木ダム 新聞

【質問1】「今さら論議する段階ではない」──では、いつ論議するつもりだったのですか?

石木ダム

大石知事は説明会でこう言いっていた。
「ダムの必要性を今さら論議する段階ではない」
大石知事、これは本当に“言ってはいけない類の言葉”です。
なぜなら住民は、一度として納得できる論議を聞いた覚えがない からである。
論議する段階を飛ばして、理解を求めて、最後は移転してくれとお願い(実質、要求)
これを“手続きの正当性”とは呼べません。
大石知事、率直に聞きます。
いつ、どこで、誰と、何を論議した結果、「必要性は確定済み」と断言できるのですか?

【質問2】「理解を得る努力」とおっしゃいましたが、その努力は現在どこで稼働中ですか?

大石県知事

説明会後、住民の間ではこんな声がささやかれています。
「理解を得る努力って、言うだけの努力?」「努力じゃなくて、理解したことにしてほしいだけでは?」
大石知事、努力とは成果ではなくプロセスの話です。
しかし、そのプロセスが一切見えない。
・一方的な説明
・質問に答えない回答
・根拠を示さない確信
・住民の疑念に“聞いていない風”の構え
これらを総合すると、大石知事の言う「努力」の中身は“理解してくれたことにする努力”にしか見えません。
そこで質問です。
理解を得る努力とは、具体的に何を指しているのですか?
その努力はいつ、どこで、どの住民に対して実施されましたか?

【質問3】行政代執行の影が濃くなっていますが、否定できますか?
説明会の内容を踏まえると、多くの住民がこう感じています。
「ああ、もうこれは行政代執行ありきだな」
大石知事にそのつもりがなくても、そう“見える”こと自体が問題です。
なぜなら、住民が感じる不安こそが行政の責任だからです。
そこで、単刀直入に伺います。
行政代執行の選択肢を排除できますか?
それとも、できない状態なのですか?
その答えは、住民にとって生き方を決める重大事項です。

【質問4】就任直後の「寄り添う姿勢」は、プロモーション映像の撮影でしたか?
大石知事が就任直後に示した言葉は、住民に大きな期待をもたらしました。
・「現地を見る」
・「住民の声を丁寧に聞く」
・「寄り添う」
しかし現在の姿勢は、3年前のあの頃と驚くほど違います。
握手はした。
写真も撮った。
言葉も交わした。
なのに、その後の政策判断には 住民の声が一滴も混ざっていない。
そこで質問です。
あの“寄り添う姿勢”は本気でしたか?
それとも、政治家としての好感度を高めるための選挙用のパフォーマンスだったのですか?
これは住民の信頼の核心に関わる問いですので、どうか明確な回答をお願いします。

【質問5】50年前の計画を再検証しない“科学的・合理的理由”を具体的に説明できますか?
石木ダム計画は50年、半世紀前のものです。
人口構造も産業構造も治水技術も、すべてが変わっています。
それにもかかわらず大石知事は、「再検証する段階ではない」とおっしゃる。
しかし、世の中のほぼすべての公共事業は時代に応じて見直されるのが常識です。
石木ダムだけが例外扱いされている理由が説明されなければ、住民は納得のしようがありません。
知事、教えてください。
なぜ石木ダムだけは、50年前の前提条件で走り続けることが許されるのですか?
再検証しない合理性はどこにあるのですか?
最後に大石知事、住民を“見捨てていない”と言い切れますか?
説明会での知事の振る舞いを見て、多くの住民はこう感じています。
「寄り添うふりをして、最後は突き放された」
言葉は丁寧でも、行動がそれに伴わなければ意味がありません。
大石知事、あなたは本当に13世帯50人の未来に責任を持つつもりがありますか?
それとも、計画という“行政の都合”のほうを優先しますか?
今、求められているのは“寄り添っているように見える姿勢”ではなく、寄り添うという行為そのものである。

JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次

 


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