
負けた応援、残った傷、 議会の威信は誰が回復するのか
選挙は、勝てば終わりではない。
負ければ、なおさら終わらない。
外間議長が応援に立った大石候補は、結果として落選した。
この事実は、単なる選挙結果以上の意味を持つ。
【第4回】外間雅広議長とは何者か?中立性という"見えない職務"

負けた応援、残った傷、 議会の威信は誰が回復するのか
選挙は、勝てば終わりではない。
負ければ、なおさら終わらない。
外間議長が応援に立った大石候補は、結果として落選した。
この事実は、単なる選挙結果以上の意味を持つ。

なぜなら、議長の応援は「議会の長の判断」として受け取られるからだ。
その判断が、県民から支持されなかった。
これは個人の読み違いでは済まされない。
議会の象徴が、県民の選択とズレたという事実だけが残る。
大石候補が勝っていれば、「結果的に支持された」と強弁する余地もあっただろう。
だが、結果は負けた。
その瞬間、大石候補を応援したという行為は「正当化」ではなく「失策」として認知され固定される。
しかも、その失策は長崎県議会全体に暗い影を落とすことになる。
議会は、行政をチェックし、多様な意見を束ねる場でなければならない。

だが、そのトップが大石賢吾という特定候補に肩入れし、しかも敗れたとなれば、
議会の中立性そのものが疑われる。
「議会は、最初から勝ち馬に乗っていたのではないか」「では、反対側の意見は、
本当に公平に扱われるのか」
こうした疑念は、誰かが意図して植え付けるものではない。
行動の結果として、自然に生まれるものである。
問題は、この傷を誰が回復するのか、である。
議長自身が説明し、判断の是非を語り、議会としての立場を明確にするのか。
それとも、何事もなかったかのように、唯々諾々と時間が過ぎるのを待つのか。
信頼は、放置すれば戻るものではない。
むしろ、何も語られない時間の中で、静かに失われていくのである。
(つづく)
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次