アイコン 第6葵丸沈没事故問題(第4回)沈んだのは船だけではない【怪文書では済まされぬ】との声

Posted:[ 2026年4月21日 ]

造船

地元漁業者「海に残った迷惑まで放置するのか」怒り収まらず。
「事故は終わったこと」葵新建設、出口勇一社長はそう言いたいだろう。
しかし、現場で海に出る漁業者からすれば、そんな話は笑止千万である。
なぜなら、第6葵丸は今なお『終わっていない事故』だからだ。

 



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出口

■『海底の厄介者』となった沈没船
関係者によれば、沈没した船体は依然として海底に残されており、近隣漁業者からは
「網が引っかかる」「操業の邪魔になる」「あの海域は神経を使う」といった声が聞こえてくる。
事故は一瞬でも、迷惑は継続中、それが現場の実感だという。

■『金の動きは早く、船の動きは遅い』と皮肉も
業界関係者の間では、事故後に多額の保険金が支払われたとの報道を受け、「入る金は早いが、沈んだ船は動かんのか」「海底整理より帳簿整理が先だったのでは」
などという、穏やかではない声まで漏れ聞こえる。
もちろん事情はあるだろう。
が、地域住民から見ればこうだ。
説明がなければ、納得もない、当然である。

■ 『迷惑は漁民任せ』で済む話ではない
海で食っている者にとって、網は商売道具であり命綱だ。
それが海底障害物に引っかかれば、網は破れる、漁は止まる、収入は減る、時には危険も伴う。となる。
机上の話ではない。生活の話である。
それを「そのうち何とかなる」と考えているなら、葵新建設、出口勇一社長の現場感覚とのズレは相当なものだ。

■ 時間が経てば忘れる、と思うなかれ
一部では「もう昔の事故」と片付けたい向きもあるようだが、海に出る者にとっては違う。
網を入れるたび思い出す。船を走らせるたび気にかかる。毎日、事故を思い出させられているのである。

■ 地域が見ているのは『事故後の姿勢』
企業や事業者の真価が問われるのは、事故を起こした瞬間ではない。
その後どう責任を取るか。どう説明するのか、どう対応するのか、誰にどう向き合うのか、そこである。
事故を風化させたい者はいても、被害を受け続ける側は忘れない。
第6葵丸沈没問題、『沈めたのは船だけで済んだのか』と問う声は、今なお消えていない。

JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次

 


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