アイコン 「34人の総会は盛者の残り香」(大石賢吾後援会総会)


大石 案内状

令和八年四月二十日、夕刻五時。
場所は長崎市茂里町――長崎県医師会館。
議題は静かに掲げられていた。「今後の後援会のあり方等について」。
かつて一県の権力中枢と深く結びついた後援会が、あり方等を問う段階に来ている。
その事実だけで、すでに物語は始まっている。
会場に顔を揃えたのは三十数名。いや、正確には三十四か三十五。
この曖昧な数字が、すべてを物語っている。

 

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森崎

名を見れば、顔ぶれは決して軽くないが、しかし重量級でもない。
• 森崎正幸
• 根〆慎吾
• 前田哲也

根〆

そして中心にあるのは、大石賢吾の名を冠した後援会。
医師会、建設業、党県連元幹事長。
かつては「県政を動かす側」にいた者たちである。
だが、その人数は三十四、あまりにも少ない。
参加者の一人が漏らしたという。「これは総会じゃなかろう」と。
その言葉に、誰も強く反論しなかったというのが、また味わい深い。
議論の結論は、実に穏当だった。「後援会は、当面存続する」。
解散でもなく、再編でもなく、躍進でもない、ただ、『残す』。
この「残す」という選択は、一見消極的に見えて、実は巧妙な政治的だ。
なぜなら、それは「まだ終わっていない」と言い張るための形だからだ。
だが裏を返せば、何も始められないまま、終わりを先送りしただけとも言える。
興味深いのは、誰も口にしなかった話である。
来春の地方統一選、例えば長崎市長選。
現職の鈴木市長に対抗するのか。候補を立てるのか。
その種の『政治の本題』は、ついに俎上にすら載らなかった。
これは慎重なのではない。
単純に、語れる材料がなかったのだろう。
担ぐ神輿は軽くてパーがいいと担いでは見たが、担いだ神輿が軽すぎては祭りにはならない。
そして、ある参加者はこう証言する。
「森崎さんも、根〆さんも、どこか精彩を欠いて見えた」と。
気のせいかもしれない。照明のせいかもしれない。
だが政治とは、時に『気のせい』か、本質が露わになる世界でもある。
かつて、県政を我が物のように動かしたと評された人々が、今や三十余名の会合で、静かに『存続』を確認する。
そこにあるのは敗北ではない。
むしろ、もっと静かなものだ、余韻である。
ふと脳裏をよぎるのは、平家物語のあの一節である。

金子・大石

栄枯盛衰、盛者必衰の理。
ただし、この日の光景は「滅び」ではない。
もっと現代的で、もっと地方的な形をしている。
それは、消えきらず、しかし燃え上がりもしない状態である。
言うなれば、「残り香の政治」である。
したたかに生き残る者が次の時代を掴むのか。
それとも、このまま静かに風に散るのか。
三十四人の総会は、何も決めなかった。
だが同時に、『何も決められない現在地』だけは、はっきりと示してみせたのである。

JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次

[ 2026年4月21日 ]
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