アイコン 【長谷工研究】生き残った長谷工(1)

りそな銀行長谷工は、現在マンション建築会社として№1の地位にあり、これまで不動産ミニバブルを謳歌、現在の収益体質企業に変貌している。
同社は1937年兵庫県尼崎市に長谷川武彦氏が長谷川工務店を興し、一代で築き上げた会社であった。1953年大阪市に本店移転、70年に東京に本店を移転している。

昔の関西では暴れん坊将軍のような存在、大型分譲マンション開発を得意とし、価格的な魅力を打ち出し品質はその次との風評もあった。

バブル時代になると東京への本格進出どころか海外まで進出、バブル崩壊後はその反動で息絶え絶えに。バブルのツケは1兆5千億円の有利子負債として残った。それでも潰されなかったのは、オーナー企業の強さであったろう、金融機関が不良債権処理を本格化させる中、同社は破綻か再建かで注目された。そこで再建への辣腕を振るったのが大和銀行専務OBで1998年6月副社長に就任した現長谷工社長の岩尾氏である。1999年金融機関から3,942億円の債務免除(後に396億円はDES=貸付金の株式化)を勝ち取ることに成功した。
しかしその後も同社は軌道に乗らず、2002年1,500億円の借入金を資本金に繰り入れるという金融支援(DES)を受けた。その時経営方針が抜本的に変更され、リスクの高い分譲マンション事業から撤退、マンション事業者向けの企画および建設事業に専念、今日に至り、同社を収益企業に育て上げた。
 
添付資料に借入先と役員名簿があるが、金融機関もりそな銀行から社長含め代表取締役2名、他行は取締役としてみずほ銀行、中央三井信託銀行が送り込んでいる程度である。なお、同社には元社長で会長に元社長で嵩聰久氏が就任しており、元建設省大臣官房審議官であった。いろんな意味で同社を再建させることが出来たのであろう。

※添付資料 役員名簿・借入状況表

[ 2009年4月14日 ]
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