アイコン 破綻あい次ぐ、辛子めんたいこ業界の動向①

からし明太子メーカー
 ふくや・やまや・鳴海屋・福さ屋・福太郎・山口油屋福太郎・椒房庵・かば田食品・
カネ又田中食品など

 

業界のこれまで
今や博多土産の代表格である「博多辛子めいたいこ」は、昭和24年1月博多中洲のマーケットで干物屋を営んでいたふくやの故、川原俊夫氏が、スケトウダラの卵巣を和風風味加工して発売したのに始まる。元々韓国でスケトウタラの卵巣をキムチ漬けにして食していたとされるが、日本人の舌には合わず、日本人好みに川原氏が開発したものであった。「辛子めんたいこ」が地元でおいしいと評判となっていたが、当時中洲と薬院のマーケットだけでの販売では数量が限られていた。大きく飛躍したのは「ふくや」の創業者川原俊夫氏が製造方法をオープンしたことにある。ふくやの工場で働いていた者が独立したり、他社水産加工会社へ引っ張られたりして噂の「辛子めんたいこ」をいろいろな会社が製造販売するようになった。1975年の新幹線の博多駅開通により、支店経済である福岡を訪れる出張族や転勤族の間で博多名物の土産品として珍重され、全国へ拡がったのも大きな成長要因である。博多の「辛子めんたいこ」がふくや・やまや・かねふく・福太郎などが宣伝を競い、時流にも乗り贈答品・土産品として確立した。
今では、駅売店はじめ・空港・百貨店・高速パーキングの土産品コーナーに贈答品・お土産品として並べられ、博多発の「辛子めんたいこ」は全国銘柄になっている。また、健康被害や粗悪品防止のために自主的に、平成元年「全国辛子めんたいこ食品公正取引協議会」を組織、業界をリードしたことも成長を持続させる大きな要因ともなっている。
しかし、業界が順風満帆であったわけではない。バブル期は土産品として持て囃されたが、バブル崩壊後は売上不振に陥った。大手は郊外型店舗を設け拡販にも動いたが殆ど失敗に終わった。その後外食産業や冷凍食品業界が辛子明太子を応用した食材を開発、また急激なパソコンの普及により、通信販売やネット販売も取り入られ、成長を遂げ現在に至っている。
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[ 2009年6月 8日 ]
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