アイコン 火を吹くベスト電器②

ベスト電器は平成10年当時、有薗氏は、中央大手家電量販店の動きを知ろうともせず、11年2月ヤマダ電機とコジマが上州戦争をそのまま福岡へ持ち込んだ時、殆ど相手にもされていないのにベスト電器は無闇やたらに刀を振り回し、見境なしに大型店舗を作り続け対抗、疲れきったのが現在のベスト電器である。また同時期にベスト電器の牙城「天神本店」近くの交通の要所(西鉄天神駅)にビックカメラが進出、ベスト電器は本店可愛さに天神駅進出を断念した経緯もあった。

バブル当時日本一の売上高を誇ったベスト電器、街中に中型店を全国各地に張り巡らして掴んだ栄光であった。その後関東では家電量販店の流通革命(郊外型大型店)が起り、上州戦争が勃発していた。しかし当時のベスト電器は田舎大将、カリスマ北田会長(故)の後継者である長男北田社長(故)と有薗専務(会長の娘婿)は馬が合わず、社内では水面下で派閥争いが絶えなかったとされている。嫌気がさした常務が、福岡進出を果たしたばかりのヤマダ電機に転がり込むなど惨澹たるものであった。
院政をしいていた会長が平成14年11月亡くなり北田社長体制になったのも束の間、翌年12月には社長も亡くなってしまい、故北田会長に気に入られていた有薗体制が成立した。

しかし有薗体制はこうした内部抗争で明け暮れていたため、コジマやヤマダ電機に対する防御システムの武器が、古臭く使い物にはならなかった。反撃のため関東へ本格進出、高島屋新宿店を開業、オリンピックの『家電満載館』、「さくらや」の買収など行ったが、業績は逆に大低迷に陥っていった。
そうこうしている平成20年8月、ヤマダ電機がベスト電器の買収に乗り出していたことが判明。びっくりした有薗社長は、急遽、(福岡市)天神戦争では敵であったビックカメラに救いを求め、仕掛けた超ワンマンの山田オーナーの軍門には下らなかった。
ベスト電器はビックカメラと資本業務提携、ベスト電器山口本店などの大型店を含む不採算店をビックカメラ化、他の不採算店をアウトレット店化など行っていくが、図体ばかりデカイ「ベスト電器」は少々のことでは業績の軌道修正ははかれなかった。また深まる不況が追い討ちもかけていた。
挙句の果てコンプライアンス問題以前の障害者向け郵便物を、博報堂と組み法律違反してダイレクトメールを配布、現役の本社部長が逮捕されるという失態まで犯した。有薗氏もその時が最後の引き時だったろうが、人材不足からか、はたまた何も責任を感じなかったのか、いつしか有薗氏自身が、ベスト電器の弊害になっていたようである。

ベスト電器

 ※平成20年2月期の売上高増は、今回の危機の原因の一つ「さくらや買収」によるもの。

 

[ 2010年1月14日 ]
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