アイコン ヤマダ電機とベスト電器の戦い①/火を吹くベスト電器④

ベスト電器が日本一に君臨していた平成4年、ヤマダ電機は山田(当時)社長が故郷に錦を飾らんとばかり出身地の宮崎に、九州進出第1号となる店舗を開設した。それを迎え撃ってしまったのがベスト電器、北田会長率いるベスト電器は、ヤマダ電機宮崎店を包囲するように店舗を張り巡らし、孤立化させることで九州での店舗展開を封じ込めた。

しかし、ヤマダ電機(群馬前橋)の実態は、それどころではなかった。上州戦争といわれる家電量販店の流通戦争が佳境に入っていた、コジマ(栃木宇都宮)・カトーデンキ(現ケーズデンキ茨城水戸)などの間で熾烈な戦いを繰り広げていたのである。その戦いに明け暮れ勝ち残ったヤマダ電機とコジマが、ベスト電器の本拠地福岡に乗り込んできたのが平成11年2月である。
ヤマダ電機は、平成4年当時とは比べものにならないくらいビッグになり九州再降臨。それに対してベスト電器は、またもや包囲網を構築する計画を練り実践に移した。ところが、価格も安く、大型店で矢継ぎ早に福岡各地に店舗展開するヤマダ電機とコジマ、到底包囲網など不可能であった。ベスト電器はそれでもマーケティングなど無視して、後に経営を苦しめることになる大型店を各地に建築していった。また首根っこの天神もビックカメラに抑えられ、福岡での存在価値すら危ういものとなっていた。対抗意識ばかりが経営者に充満、消費者が求めているものは何かを完全に忘れてしまったのである。
そのまた挙句、逆襲を果たすべく関東本格進出、高島屋新宿店に大型店を開業させ、オリンピックの「家電満載館」、「さくらや」を買収して経営に乗り出した。当然田舎者が対応できる経営と市場環境ではなかった。何れも敗退の大失敗。その包囲網作戦などを編み出したのが有薗天皇であった。
ベスト電器は、包囲網作戦で各地に不採算となる大型店を作ってしまった。それでも店舗の効率化をはかるため敷地内にコンビニまで計画。しかしコンビニと家電量販店の顧客ニーズは自ずと異なり、殆ど出店できていないのが実情である。何たる計画性やマーケティングの欠落した会社であろうか。
 

[ 2010年1月18日 ]
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