アイコン コマーシャル・アールイー 追憶②

<続大村氏の動き>②
1999年10月:東京に進出した大村氏は、全国の賃貸物件を扱う不動産会社をアパマンショップとして統一を志す。全国各地の不動産会社を飛び回り、あれよあれよと提携先を拡大させ、その提携した事業先に対して、書類の統一化、パソコンソフトの統一化、ネット広告の統一化、地域別アパマン賃貸ブックの販売など矢継ぎ早に行い、ビジネスとしても提携店にそうした機能を有料提供することで、売上高を確実に増加させ、設立して2年後の2001年3月15日にはヘラクレス市場に上場を果たした。

<甲斐田氏と水上氏 意気投合、いっきに社長へ>
その過程で、幸洋コーポレーションの水上社長と意気投合、レジデンス系の大村氏がこれまで踏み込んでいなかった商業施設や物流施設のPM事業を行う幸洋コーポレーションと事業提携。
大村氏は事業提携会社=アパマン会員と勉強会を東京で開催していたが、圓井研創の甲斐田社長も当然提携先として出席していた。その会合で甲斐田氏と水上社長は知り合うことになる。
60歳の水上社長は、甲斐田氏と意気投合、幸洋コーポレーションの後継者に甲斐田氏を指名、甲斐田氏も受託して、2002年6月幸洋の定時株主総会において取締役に就任、同年10月には社長に就任して水上社長は会長となった。
商施設や物流施設には、水上社長は強かったが、レジデンス系に弱かった。圓井研創で資産活用提案事業を手掛け、PM事業に精通・それ以前の勤務先である西部ハウスでは分譲マンション等も手掛けており、レジデンス系にめっぽう強かった。そうしたことから、水上社長は会社の後継者として経営を任せるべく甲斐田氏に社長の座を用意して招聘したのであった。
そうした動きに対し、大村氏も受け入れていた。2003年1月には事業提携も深め、会社が共同してエイマックスやアパマンショップホームプランナーを経営するなど蜜月時代は続いた。05年4月には水上代表取締役会長が代表権を返上、甲斐田氏が唯一の代表権者になった。 

<大村氏と甲斐田氏の仲違い>
圓井研創時代は、大村氏の腹心の部下であった。
ところが、2005年8月両社は包括的業務提携を解消。何があったのか不明であるが、その間両社はアパマンの商標権で揉めている。甲斐田氏はアパマンの商標権は圓井研創にあり、同社を引き継いだ自分側にあると主張。一方アパマンの大村氏は、商標権は自分にあるとして訴訟まで発展。しかし結果からして大村氏側に帰属していたようである。そのためCRE側は、2006年10月ブランド名「.R(ドッとあーる)」を立ち上げ、「アパマン」のイメージガール上戸彩に対抗して、「.R」は藤井隆を起用して大キャンペーンを張った。
それ以降、甲斐田氏と大村氏は仲違いが決定的になっている。
 

[ 2010年5月 8日 ]
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