アイコン コマーシャル・アールイー 追憶①

<幸洋コーポレーション時代>
同社の旧社名㈱幸洋コーポレーションは、水上洋一氏によって1980年6月鉄骨工事業や建築業を目的に千葉県流山市で設立された。バブル期に乗じて業績を伸ばし、1995年6月に店頭登録するに至る。主業はその頃には土地所有者への資産活用提案事業、建築して借り上げ、転貸しするというサブリース事業を行い、業績を伸ばしていた。同社の物件の特色は、住宅物件は少なく、商業や物流施設が多いのが特徴。しかもバブル崩壊で不動産所有者も収益が悪化、同社が行う一括借り上げ方式による利回安定型に地主も靡いていた。そのため同社の出番は多かったものの、不景気からテナント不足や家賃の低下などもあり、大きく羽ばたくことはなかった。

<アパマンの大村氏の動き>①
1999年10月:圓井研創の大村社長が、全国の不動産業者をネットワークで結ぶ構想を実現させるため、腹心の甲斐田常務に圓井研創の経営権を譲渡して、アパマンショップネットワークを東京で立ち上げ、専念した。
大村氏は学卒後、資産活用事業の日観建設に勤務、カリスマ的な営業成績を残した実績の持ち主。1991年9月:資産活用の建築会社である圓井研創㈱を立ち上げ独立。大村氏は京セラの稲盛氏の盛和塾に入塾、世話役を引き受け、若いながら率先して会員にお世話し、人脈を拡げ、即刻営業に繋げ、圓井研創の売上高を上伸させてきた。中央である不動産業界の会合にも積極的に参加して人脈を拡げていった。
当時西鉄天神駅に画期的な無料のアパート検索パソコンを設置するなどアイデアマン、賃貸物件(住居系)の無料冊子がある中で賃貸物件案内本を有料化して販売するなど、ブランド名のアパマンを確実に浸透させてきた。大村氏はこれまで、一貫して資産活用の営業を行ってきた。
 

[ 2010年5月 7日 ]
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