アイコン 小澤一郎論

投稿者 = 匿名希望

民主マンガ 小沢VS菅

以下の記事が的確に述べています。

http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/08/post_229.html 
「ねじれ」にお気楽な人たち
 現在の民主党政権は3年前の参議院選挙以降三代続いた自民党の安倍、福田、麻生政権より非力である。参議院で過半数を失い、衆議院で再議決に必要な三分の二の議席を持っていないからである。三分の二を持っていたにも関わらず、安倍、福田、麻生政権がどれほどの醜態をさらしたかを思い起こせば、民主党政権の行く末はそれより酷くなる事が想像できる。

ところがお気楽な人たちは政策毎の部分連合で野党とよく話し合いながら政治を進めれば、3年先まで解散をしなくとも民主党の政策を実現出来ると言う。そのノー天気には呆れるしかない。そういう人たちは「政治は信頼が大事」とか「国民によく説明する事が大事」とか、世界のどの国の政治家も言わないような幼稚な事を言い、学級委員レベルの政治手法で嘘と謀略に満ちた世界に立ち向かうつもりなのだろう。

 安倍、福田、麻生政権が不様だったのはこの3人が政治家として無能だったからと言う人たちもいる。メディアはおしなべてそう言う。しかし私は全くそうは思わない。メディアを含め3人の能力のせいにする人たちは「ねじれ」の怖さを知らないのである。なぜなら1956年から1989年まで30年以上も日本の政治には「ねじれ」がなく、その政治構造にどっぷりと浸ってきた人たちには「ねじれ」の怖さが想像できない。その人たちから解説を聞かされる人たちもそのレベルになる。

 竹中治堅政策研究大学院大学教授の「参議院とは何か」(中公叢書)によれば、戦後の日本政治は保守合同によって自民党ができるまで「ねじれ」の連続だった。片山、芦田、吉田と続く政権はいずれも「ねじれ」に苦しみ、国家の最重要課題と思われる法案を成立させられなかった。戦後の日本政治は初めから非力だったのである。吉田茂は連立工作に明け暮れ、法案修正は勿論だが、参議院で否決された法案を衆議院で再議決させる事の連続で綱渡りの政権運営を行った。

 しかし占領期にあって吉田のバックには絶対権力であるGHQがいたから綱渡りも出来たと私は思っている。与野党の対立が抜き差しならなくなると、1948年の「馴れ合い解散」に見られるようにGHQの調停で吉田は解散する事が出来た。現在では与野党の対立を調整する権力など他にない。あるとすれば第四の権力メディアに煽られた「国民の声」に迎合して衆愚政治に陥るのが関の山である。

 保守合同による自由民主党の誕生は日本の政治が「ねじれ」から解放された事を意味した。ようやく政権は安定し、日本は高度経済成長を迎える事が出来た。それが転換するのはベルリンの壁が崩壊した1989年である。世界が冷戦構造の終焉を迎えた時、長らく「ねじれ」を忘れていた日本の政治も平和な時代を終えた。消費税とリクルート・スキャンダルで自民党は参議院選挙に惨敗、結党以来初めて過半数を失った。勿論、衆議院で三分の二など持っていない。

 当時の野党第一党社会党が政権を狙える状況になった。しかし社会党政権が出来なかったのは何故か。一つは社会党に政権を取る気がなかった。つまり社会党は本当の意味の「野党」でなかった。もう一つは小沢一郎という政治家が自民党幹事長の職にあったからである。

 この時、社会党を中心とする野党は「消費税廃止法案」を国会に提出して参議院で可決させた。すると小沢幹事長は「消費税見直し法案」を提出して野党共闘を分断し、消費税を廃止させなかった。また社会党が絶対反対のPKO法も成立させ、「ねじれ」にもかかわらず、全く法案審議に影響させなかった。つまりこれから民主党がやらなければならない事を20年以上も前に小沢氏は成功させていたのである。

 これと対比したくなるのが1998年に起きた「ねじれ」である。参議院選挙惨敗の責任を取って橋本総理が辞任した後、後継の小渕政権は「ねじれ」で苦境に立っていた。野党民主党が政権交代に追い込むチャンスであった。ところが当時の民主党代表菅直人氏は「政局にしない」と発言し、民主党の金融再生法案を小渕政権に丸飲みさせただけで終わった。それで民主党に政権交代の足がかりが出来たかと言えば逆である。

 自民党は自自、次いで自自公連立政権を作って権力基盤を固め、民主党を権力闘争の埒外に追いやった。政権交代の可能性は消えた。恐らく民主党のふがいなさに呆れた自由党の小沢氏は自民党との連立に向かい、連立の条件として副大臣制や党首討論の実施などの政治改革案を自民党に飲ませた。

 この時、自民党の野中幹事長は「悪魔にひれ伏してでも」と言って自由党との連立に踏み切るが、「ねじれ」になれば与党は野党にひれ伏し、足の裏を舐めるようにしなければ課題の実現など出来ない。現在のお気楽な人たちにその覚悟があるのか、はなはだ疑問である。結局、自民党は公明党と連立を組む事で、自由党との約束を反故にした。裏切られた自由党は連立を解消、民主党との合併に向かうのである。

 民主党は自由党と合併することで初めて政権獲得の可能性を手にした。それが3年前の「ねじれ」につながる。自民党政権にとって89年の社会党や98年の菅民主党のように政権奪取を狙わない野党と違い、相手が自民党の裏を知り尽くした小沢民主党だから事は簡単でなかった。安倍、福田、麻生政権がよれよれになるのも無理はなかったのである。

 安倍、福田、麻生政権より非力な民主党政権にとって最大の問題は来年度予算である。予算だけは衆議院に優位性が認められているが、予算関連法案が参議院で否決されると予算の執行が出来ない。総理は解散するか総辞職するかしかなくなる。つまり現状での菅政権は来年3月までの寿命なのである。

 総理の首をころころ変えるのは国際的に恥ずかしいと言う人がいるが、そう言う人がいる事の方が私は国際社会に対して恥ずかしい。自分の国の政治構造も知らず、論理的な考え方も出来ずに、情緒だけで政治を語っているからだ。

 日本の政治構造は「ねじれ」が起きれば総理の首はころころ変わるようになっている。それが嫌なら日本国憲法を変えて、衆議院の過半数で選ばれた総理が参議院で否決された法案を衆議院の過半数で再議決できるようにしなければならない。それで初めて国民から選ばれた総理が国民に約束した予算を執行できるようになる。

 現状では民主党政権が来年度予算を成立させるには、自民党にお願いをして予算案を作ってもらうしかない。それが嫌なら予算関連法案が通らなくなり、総理は辞職か解散に追い込まれる。それが分かっていても総理を続けようとするのは、菅総理が自民党と大連立する腹を固めているからだと考えるしかない。それは民主党が掲げてきた政策を変更する事になる。

 すると今日、小沢前幹事長が民主党代表選挙出馬を表明した。こちらは20年以上も前から「ねじれ」と向き合ってきた人だから、お気楽に考えているはずはない。来年度予算を成立させる成算がなければ出馬を決断する事もないだろう。どんな策を考えているのか現時点では想像もつかないが、まずは選挙戦で語られる言葉の中から探してみようと思う。

 

[ 2010年8月27日 ]
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