アイコン 悪沢ドクトリン

小沢一郎

 

 

 

 

投稿者=悪沢毒妬淋・・・・・・天下の暴論  

悪沢ドクトリン!これは民取党の政治の基本哲学となっている、悪沢は現在は民取党の主流から外れているが、悪沢の人間観や政治に関する考え方は確実に民取党に受け継がれて、民取党の骨格にまでなっている。そもそもドクトリンとは政治や経済あるいは軍事等における基本原則を言う。元々の意味は「教理」または「教え」で、原義は「前提とするもの」と言う意味だそうだ。この悪沢ドクトリンは人間性に対する徹底的な蔑視が基本となっている。マキャべリは「人は自分の父が殺されるのは直ぐに忘れるが、自分の財産の損失はなかなか忘れない」と言ったが、悪沢の政治哲学はその様な人間観に基づいているのだ。

悪沢の人間観の基本は人間とは徹底的に利己的な存在であり、公徳心などというものは一種の幻想に過ぎないと言う事である。人間の行動の基準となるのは飽くまでも自分の利害なのであって、国や国民と言った自分以外の存在の為に動くと言う事は有り得ない、一見公共の為に働いているように見えても本心は自分の利益に為に動いているのだ。そして国民というものは本質的に愚かであり、この様な連中は目に見える利益で釣るか権力によって威嚇して動かす存在であると考えているのだ。正にマキャべりの「民衆というのは頭を撫でるか消してしまうかだ、人は小さな侮辱には復讐しようとするが、大きな侮辱には復讐しえないからである」と言う言葉そのものだ。

だから民取党は国民に対して平然と嘘付いて恬として恥じないのである、民取党にとって国民とは愚民であり飴を呉れて手懐けて鞭を振るって脅しつければ簡単に従わせる事が出来る存在なのだ。アホ山や悪沢そして癇のアホを始めとして民取党の幹部共が発言を簡単に翻すのは、私達国民を愚民視しており心から軽蔑しているからに他ならない。「公約というものは膏薬と同じだ、張りなおせば効き目が出る」と言う悪沢の言葉ほど、悪沢そして悪沢ドクトリンの信奉している民取党の私達国民への侮蔑を露わに表現している言葉は無いだろう。民取党にとって公約などというものはゴミよりも価値の無いものなのだ。

悪沢は「御輿は軽くてパーが良い」と言ったが、軽くてパーだと考えているのは御輿つまり担ぎ上げる政治指導者ばかりではない。国家の主権者である私達国民も軽くてパーだと悪沢は考えているのだ。悪沢にとって国民とは目先の利益しか見えない愚民であり、「ガキ手当」の様に金をバラ撒けば国民は喜んで自分達に付いてくると考えている。そうして一端権力さえ握ってしまえば後は国民など用済みだ、悪沢と民取党はゴミの様に捨てて自分達が真に忠誠を尽くすべき存在に奉仕するのみなのである。反抗するものは容赦無く権力を使って弾圧すれば良いと考えているのだ。この様な国民を侮蔑し国家への忠誠心の全く無い政党に貴方は自らの運命を託す気になるだろうか?
 

[ 2010年9月13日 ]
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