アイコン 林原・林原生物化学研究所のADR申請 不正経理 林原社長辞任

破綻解説
林原・林原生物化学研究所のADR申請 不正経理 林原社長辞任

<不正経理発覚、林原社長辞任表明>
林原トップ同社は主要4社で不正経理が行われていた事実が発覚。不正な決算報告書により、金融機関から膨大な資金をこれまで調達してきた疑いが浮上している。
当疑惑について林原は、「現在、調査機関を設けて厳正に調べている」としている。一方、メインバンクの中国銀行は「不正経理の内容は、ADRの審理の中で明らかになろう」とコメントしている。
渦中となった㈱林原、そうしたなか1月27日林原健社長と林原靖専務の二人が同社を辞任すると発表した。不正経理の内容次第ではADRどころか、法的経営破綻にいたる可能性が高い。
こうした不正要因は、同社が非上場で一族経営のため、財務内容の開示が極めて少なく、金融機関も、過去の財をなした資産やインターフェロンやトレハロースなどによるパテント等からの利益を過大評価、決算書の内容を疑わなかったことに起因しているようだ。

林原グループ<中核4社・・・ADR申請4社>
㈱林原㈱(医薬品・食料品の原料製造)
㈱林原生物化学研究所(食品・医薬品原料の研究開発、感光色素等及び工業所有権の売買)
㈱林原商事(各種食品・医薬品・化粧品原材料などの販売)
太陽興産㈱(グループ不動産管理会社)
<関連会社>
㈱H+Bライフサイエンス(岡山市)
㈱アメニティ ルネサンス(岡山市)
㈱京都センチュリーホテル(京都市下京区)
ザ ハヤシバラ シティ㈱(岡山市、駅前再開発会社)
㈱昭和倉庫(岡山市)
㈱春興社(岡山市、持株会社)
ハヤシバラインターナショナル(USA)
<社会事業>
社団法人林原共済会(岡山市、福祉事業・文化活動)
林原自然科学博物館(岡山市)
財団法人林原美術館(岡山市)

<代表会社㈱林原の概要>
本社所在地:岡山県北区下石井1-2-3
代表者:林原 健
創 業:1883年
設 立:1932年(昭和7年)7月
資本金:1億円
年 商:283億円(グループ売上高約800億円)
取引行:中国銀行、住友信託銀行、三菱東京UFJ、農林中金、阿波銀行ほか
仕入先:(グループ)日本コーンスターチ、全農連、三菱商事、三和澱粉工業ほか
販売先:三菱商事、武田薬品工業、オリエンタル酵母、大塚製薬、三共、森永製菓、明治フードマテリアル、東和化成工業ほか
就業員:(グループ)約1,000名

<工場所在地等>
第一工場:岡山市北区天瀬南町7-7
第二工場:岡山市北区今保578
岡山機能糖質工場:岡山市北区今保578
藤田研究所:岡山市南区藤田564-176
林原美術館:岡山市北区丸の内2丁目7-15

<ADR申請に至った林原グループ>
林原同社グループは1月26日、1400億円あまりの負債を抱え実務家協会に依頼してADRの申請を行ったことが判明、経営破綻を露呈した。
その原因を追う。
 同社は1883年創業、昭和25年頃には水飴生産量で日本一を誇り、財をなした。1959年に世界的発明である酵素糖化法によるブドウ糖製造の工業化に成功。その後もバイオ関連の研究を続け、甘味料に使用する糖質のトレハロースの大量生産技術を開発、また抗がん剤で知られるインターフェロンの大量生産技術も確立するなどバイオ技術の林原で知られる。


<破綻原因>
破綻原因として挙げられるものは、
メソナ事業への大きな負担
嵩む研究開発費(純血主義開発)
大型新規研究物の不存在
新工場建設負担
採用方法・・・(や地元採用最優先主義・・・世界に羽ばたく企業の血がイエスマンばかりでドス黒くなっていたのでは・・・)

<トレハロースの新生産工場の負担>
同社グループは、本社一帯に広がる工場群で、食品・薬品・化粧品などの原料・原末製造を業とするほか、ホテル、レストラン経営、美術館運営などを手がけてきた。同社によるとグループ売上高は約800億円に上るという。
 同社は、抗がん剤となるインターフェロン(1979年)やトレハロース(1994年)の大量生産技術を開発してきた。これまで、それらを応用して生産した原末を薬品業界や食品業界に販売して生計を立ててきた。その売上や利益を強化するため、2009年トレハロース生産の新工場を建設。トレハロースは、安価な大量供給が可能となったため、トレハロースを利用した各種の研究も急速に増えていた。特に医学関連では手術による開腹後の癒着防止剤、ドライアイの治療薬、乾燥血液製造などの用途をめざして研究されていた。しかし、同社新工場の生産量を満たすにはまだ至っていなかった。そうしたことにより当工場の建設に関わる借入負担は、同社の経営を圧迫するものとなってしまった。
また、最近ではトレハロースの医薬活用については、大型研究開発の成果が得られていない。過去の遺物により生計を立てていたともいえる。また、研究開発に関わる大きな負担が同社の経営を圧迫していたともいえる。薬品会社等の研究開発者は、常に成果となる大型品の開発を求められるが、同社の場合、そのような大型研究開発商品は開発されていない。

<メソナ事業の負担>
 同社は、岡山藩主池田家の屋敷後の不動産や美術骨董品をまとめて購入、それ以前に3代目の林原一郎氏(1961年没)が刀剣類のコレクターでもあったため、没後財団法人を設立して刀剣類などを管理した。1964年その財団法人により岡山美術館(その後県美術館開設で林原美術館に名称変更)を開設、池田家伝来の能装束・狂言装束など能・狂言に関係する品を多く所蔵している。国宝の「太刀 銘吉房」や「洛中洛外図」(池田本)、「平家物語絵巻」(越前松平家伝来)は、国内に現存を確認されている唯一の完本などが代表例。そうした所蔵品収集や事業に関わる費用も同社はこれまで負担してきた。

<メソナ事業の経緯>
実業の成果を地域のために生かすという素直な考え方
1964年:岡山市丸の内の岡山城対面所跡に「林原美術館」を開館。
1983年:創立100周年を記念して岡山城の堀・石井中学校の敷地を岡山市に寄付。
1987年:青少年の健全な育成を願って空手道場「林原道場」を竣工。
1991年:備前刀の作刀技術の継承のために「哲多刀剣鍛錬道場」を設立。
1994年:官民一体で備中漆の復興事業に着手。二つ目の鍛錬道場となる「桑野刀剣鍛錬道場」が完成。日本刀をテーマにした映画「匠」が完成。
1995年:漆掻き技術の研修施設「漆の館」を新見市に建設
1998年:チンパンジーの研究施設「類人猿研究センター」を設立。
2001年:玉野市出崎半島に「類人猿研究センター」の新施設竣工
2003年:林原国際芸術祭「希望の星 」
2008年:ティラノサウルス科恐竜のコドモのほぼ完全な関節した全身骨格化石を発見。
201?年:「林原自然科学博物館」を駅前にオープン予定
以上がメソナ事業であり、現在も多くが同社私設の財団法人で運営されている。
こうした施設の開設費や運営費が同社の経営を圧迫してきた。本来は、開設して地方自治体に対し、寄贈もしくは運営を委託すれば、それほどまでに経営を圧迫することもなかったと思われる。

<不動産開発>ADRで第1の売却候補の駅前不動産
同社は、JR岡山駅前の下石井1丁目に駐車場として利用している元岡山藩池田家の屋敷跡地(約45,000㎡=約13,600坪、現在駐車場等に利用)を所有、再開発事業に取り組んでいた。2002年ザ ハヤシバラ シティが開発の基本プランを策定、太陽殖産が開発して、ザ ハヤシバラ シティが完成後の街の運営する計画で進められていた。しかしながら、単独での開発を優先させたため、実施も遅れ、そのうち不動産ミニバブルもリーマンショックで崩壊。開発や売却どころではなくなった。
 こうした駅前不動産をいつまでも持つ方が異常であるともいえる。例え持つとしてもオフィスビルや賃貸マンションにしていれば、それなりの利益と資産評価も出ようが、駐車場では限られたものでしかない。また、当所有地を不動産ミニバブルの早期に大手デベロッパーに委託して再開発していたら、財務内容も少しは改善されていたと思われる。

<開発の概要>は、(1)世界初の博物館ほか高度の文化施設群の集積、(2)商業施設(百貨店、モール、ショップ、レストラン等)、(3)大規模駐車場、(4)オフィス、(5)都市型ホテル、(6)コンドミニアム、(7)モニュメント施設、(8)地域の表玄関としての公共用諸施設などとなっていたようだ。決して商売ベースの開発にはなっていない。
こうした事業は、本来官民一体にやっておくべきであったろうが、林原も所詮技術屋でゆったり、官庁も何ら再開発エネルギーを見せないまま、財政は悪化し続けている。
これまで、市も県も林原に甘えてきたのであろう。林原が実質破綻したことにより、早期に売却され、分譲マンションなどの開発が即行われよう。
13,600坪⇒市役所筋の路線価60万円/㎡、裏通りの合同庁舎2号館側19万円/㎡
 

[ 2011年1月28日 ]
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