アイコン 北朝鮮 張成沢関係(機関・一族)2万人超を今後処刑か 逆「深化組事件」再来へ

秘密警察深化組含む社会安全部、後継者問題では、金正日の長男金 正男の後見人となっていたが、後に三男の金正恩を押す。軍部は次男の金正哲を押していた。一時は金正日の後継者とも見られていた。金正日の末期の2010 年6月7日、国防委員会副委員長に選出され、№2の地位を得る。三男の金正恩を最高指導者=国家主席に推挙し、実現させた。
軍部にとっては、深化組事件では金正日の意向があったとはいえ、古参軍関係者(3親等以内)2万5千人を粛清した張本人として、また、軍部の意に反して金正恩を最高指導者に抜擢させ、№2の地位を揺るぎないものにした張に対する恨み辛みは計り知れないものがあった。
今回の張の処刑は、明確に軍事クーデターであり、金正恩が完全に軍部の傀儡政権(金正恩は飾り物)になったことを意味する。
張は、経済政策において、中国に傾注していた。経済自由化、開放路線を採用し、豆満江デルタに自由経済特区の羅先経済貿易地帯を設定して中国資本を導入、今では香港資本によるガシノホテル「エンペラー」まで存在している。

また、内国経済政策においては、国民の所得増を計るため、輸出を奨励、一定以上の輸出を達成した企業においては、企業の所得とし、急速に所得増者が増加していた。こうしたことも、国を守る軍人より優雅な生活をするようになってきた市民に対する不満が軍部に生じ、批判の対象にされるようになっていた。
張は、これまで、社会安全部、警察、経済関係部門、中国関係に人脈を構成しており、その国内で関係する高級官僚やその一族は、殆どが今回の張の粛清により、処刑されるものと見られる。その数は実に2万人に及ぶとも見られている。

<張成沢の略歴>
江原道川内郡出身。金日成総合大学の卒業生。
1968年から1972年までソビエト連邦のモスクワに留学。
金日成総合大学で、上級生の金正日に気に入られ可愛がられる。
金日成の娘で金正日の妹の金敬姫とは大学の同級生、金敬姫が遊び人で色男の張成沢に好意を持ち、後結婚。
一時、敬姫との夫婦仲が悪化、DVに及び金正日が激怒。1978年から2年間、ガンソン製鉄所で思想化教育を受ける。
金正日体制下で、麻薬密輸の陣頭指揮や三大革命赤旗獲得運動(北朝鮮の文化大革命)の推進で力を発揮し、金正日の側近中の側近として辣腕を振るった。

1997年から2000年まで、朝鮮労働党中央委員会組織指導部第1副部長として社会安全部内の秘密警察組織「深化組」を指揮、大規模な粛清を行った(深化組事件=古参の党や軍幹部たちとその側近らの親戚3親等までの約2万5千人を粛清=処刑した事件)。
その後は、紆余曲折しながら、2007年には党行政部長に就任していた。

<金正日の後継者問題>
軍部は、「金正日」の後継者に次男の「金正哲」を推挙していたが、ほかに初代最高指導者の金日成の息子の「金平一」(1954年生、民武力部大佐、作戦副局長歴任、腹違いの兄の金正日体制下、東欧各国の大使に左遷が続く)を押す動きもあった。
初代最高指導者の金日成や金正日は、天下の遊び人、「美しい組」を侍らせ、種をあちこちにばら撒いており、軍部や関係者により担ぎ出される後継者候補はいっぱいいる。
「金正哲」については、あまり知られていないが、まだ、粛清されず、今回の建議の相手の3人(金正恩、金正哲、金汝貞、)にも含まれており、なんらかの重要役職についているものと思われる。

2010年6月7日、「金正日」体制末期、「張成沢」は、「金正日」に対し「金正恩」を後継者に推挙、「金正日」は張を国防委員会副委員長に選出させ、№2の地位を得た。

同年9月28日、張は、中央委員会総会で政治局員候補に昇進。同時に「金正恩」も党中央軍事委員会副委員長に推挙され、これにより金正恩の後継者としての地位がほぼ確定した。

2011年12月17日、「金正日」死亡、葬儀委員会の名簿には19位に名を連ねた(妻は金敬姫14位)。

当面の間は若い「金正恩」を張ら後見人がバックアップする体制が取られるものとみられていた。
2012年4月11日、張は、朝鮮労働党政治局員候補から政治局員に昇格した。

2011年末、韓国情報機関の国情院は、
北朝鮮中枢の分析し、金正恩派の最大勢力は張成沢グループで、
張氏の右腕が、朝鮮人民軍の序列1位、「李英浩」軍総参謀長。
秘密警察の国家安全保衛部「禹東測」第1副部長(部長は金正恩)、特殊部隊を指揮する「金英哲」偵察総局長の2人が金正恩氏に忠誠を誓う最側近としている。
 
ただ、軍部の実力者で長老の「呉克烈」(82歳)国防委員会副委員長は、張成沢氏に対する対抗軸として、韓国当局も後見人体制の不安定さを指摘していた。(年齢的に第一世代の呉克烈より、その後継者が誰か・・・)

2012年10月から11月にかけ、軍部に対する大規模な監察が行われ、この際に、金正日の棺を担いだ6人のうち3人の軍長老を含む軍首脳部の10数人が解任された。

<クーデター>党の超延俊と軍の崔竜海の2人が主導した
2013年12月12日、金正恩の叔父である張成沢を処刑。
2013年12月3日、韓国国家情報院は「張成沢国防委員会副委員長が失脚し、側近2名が公開処刑された」と明らかにした。
処刑されたのは「李龍河行政部第1部長」と「張秀吉行政部副部長」で、時期は11月下旬とみられる。
9月、張関係者の高級官僚2人が中国で、韓国側に亡命を求めており、韓国国家情報院からこうした情報が発表されたもの。(韓国政府は亡命者の有無を発表していない)

今回のクーデターは、「張成沢」の力添えで地位を獲得した軍部の「崔竜海」や党の「超延俊」とされている。

軍の「崔竜海」と党・行政の「超延俊」がタッグを組み、張成沢を失脚させるため、「超延俊」が張成沢一派の不正証拠を掻き集め、金正恩、金正哲(金正日の次男)、金汝貞(金正恩の妹)に対して建議、金正恩の「核心策士」として張成沢排除に動いたものと見られている。

崔竜海(1950年1月生、63歳)は、朝鮮民主主義人民共和国の政治家、軍人。2012年4月から、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員、朝鮮労働党政治局常務委員、同党中央軍事委員会副委員長、朝鮮人民軍総政治局長、朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は次帥。
2012年4月9日、金正日の朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長就任19周年記念の中央報告大会において出席幹部中序列3位で紹介される。
張により№3に上り詰めていたが、№2の張を失脚させ、現在は№2に上り詰めたと思われる。張は、公安には力を有していたが、軍部には弱く、その軍部に対して発言力を強めるため、崔竜海を昇格させたものの、結果、寝首を欠かれた。

超延俊(1937年9月生、76歳)は、朝鮮民主主義人民共和国の政治家。朝鮮労働党中央委員会政治局員候補、金日成総合大学の上級教員が長く、2012年1月から党中央委員会組織指導部第一副部長に就任(組織部は、党、軍、内閣、社会団体など北朝鮮全体のエリート組織と人事を担当する権力の中枢部署)。
軍や官僚の中枢は、殆ど金日成総合大学を卒業しており、超は教員時代が長く、各組織に満遍なく教え子中心にかなりの人脈を有しているものと見られる。

いろいろな憶測が飛びかっているが、まだ30歳の若さで権力を集中させるだけのパワーも何もないお坊ちゃまの金正恩、№3に昇格した「崔竜海」が、軍の不満を代表して、また、教員時代が長く、党で出世が遅れた高齢の超延俊を利用して、一挙に張を失脚させたものと見られる。


張関係者では、張の義兄で駐キューバ大使の「全英鎮」と、甥の駐マレーシア大使の「張勇哲」が本国に召還されたが、忠誠心を確認するどころか、血のつながりだけで処刑されるものと思われる。

<張成沢の犯罪>権力抗争であり理由は何とでも付けられる
解任と除名の理由
1、「分派策動で自分の勢力を拡張し、あえて党に挑戦する危険極まりない反党・反革命的分派事件が発生した」
2、「党の唯一的指導体系を確立する事業を阻害する反党・反革命的分派行為を働き、強盛国家の建設と人民の生活向上を目指すたたかいに莫大な弊害を及ぼす反国家的・反人民的犯罪行為を働いた」
3、「資本主義生活様式に染まって不正腐敗行為を強行し、腐敗堕落した生活をした」「思想的に病み、極度に安逸に流れたため麻薬を使い、党の配慮によって他国に病気の治療で行っている期間には外貨を蕩尽し、賭博場まで出入りした」
「4、張成沢とその追随者らが働いた犯罪行為は想像を絶し、党と革命に及ぼした弊害の結果はきわめて大きい」
などとしており、私生活に至るまで徹底的に糾弾された。

朝鮮中央放送は、
「権力を乱用して、不正・腐敗行為をし、複数の女性と不当な関係を持って、高級食堂の裏部屋で、酒遊びや飲み食いをしてきた。他国で病気治療を行っている期間には、外貨を使い果たし、賭博場まで訪ね歩いた。」などの「罪状」を挙げた。

朝鮮中央通信は
「張成沢を取り除き、その一党を粛清することによって、党内に新しく芽生える危険極まりない分派的行動に決定的な打撃を加えた。」

朝鮮中央放送は処刑の理由について、
「敵らと思想的に同調し、わが共和国の人民主権を転覆する目的で敢行した国家転覆陰謀行為が共和国刑法第60条に当たる犯罪を構成することを確証した」
「犬畜生にも劣る人間のゴミ、凶悪な政治的野心家、陰謀家であり、万古の逆賊である張成沢を革命の名の下に人民の名の下に厳しく断罪、糾弾し、刑法第60条により、死刑に処すものと判決を下し、即時執行された」
と発表した。(いつもの4つの銃身がある機関銃で滅多打ちにされ、なきがらはそのまま火炎放射器で焼き尽くされ灰にされ、ゴミ処理され捨てられたのだろう)

<張氏一族>3親等までが処刑対象か
長兄:張成禹 故人
次兄:張成吉人民武力省革命事績館長
妻:金敬姫金 正日の同母妹。張成沢と敬姫は長い間別居していたとの報道がある。
長女:張琴松、フランス留学中に、飲酒後の睡眠薬大量摂取により死亡

羅先特別市:
外国への租借が張の「売国」行為とされ、死刑判決の罪状の一つに挙げられた
海外資本に開かれた特区「羅先経済貿易地帯」を擁する。

<結び>
張の政策に対し、軍部の不満は鬱積しており(昨年10月軍の長老たち10数名を監査部が失脚させていた)、軍部が主導権を握るためには、張を追い落とすか、金正恩を病死させるしかなかったのだろう。
軍部の今回のクーデターでは、金日成の息子の金平一(1954生、59歳)を担ぎ出す可能性もあったろう。軍に在籍していた金平一は、先代の金正日が権力を集中するために邪魔者扱いされ、ポーランドなどの東欧大使に左遷され続け、海外に暮らす。また、金正日の次男の正哲もいる。
先代の金正日は、こうしたことを念頭に、今回粛清された張成沢に、長老達や関係者2万5千人を粛清させ、磐石な体制を築き挙げていた。
金正恩は、軍部のお飾り物として、今後君臨し続けることだけは間違いない。しかし、経済改革は大きく後退、国民への締め付けや弾圧は厳しくなり、情報も外部に漏れてこなくなると思われる。
当然、軍部が主導権を持つことは、韓国に対して厳しく対応してくるものと思われ、韓国政権もいつ何時、火の玉が飛んでくるかわからず、反日で浮かれている場合ではなくなっていると思われる。
国民の不満は、ネガティブキャンペーンを張ることや、戦争を仕掛けることで、どうにでも処理できる。
 

 
 
金日成ドンの一族系譜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
金正淑
金日成
金聖愛
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
金正日
長男
 
息子
 
 
 
 
 
NO2
故金万一
次男
 
金平一
 
 
 
 
張成沢
金敬姫
長女
 
ポ大使
 
 
 
 
 
失脚処刑
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
金正日
妻(在日)
 
 
 
成蕙琳
 
金英淑
 
 
高英姫
 
金玉
 
 
 
 
 
 
 
 
長男
 
長女
 
次男
金正哲
 
秘書兼
 
 
金正男
 
金雪松
 
三男
金正恩
 
 
 
風来坊
 
 
 
次女
金ヨジョン
 
 
 
 
 
 
 
 
四女 
 金汝貞
 
 
 

 

[ 2013年12月16日 ]
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