アイコン 徳洲会病院は政治家の金主元だった?  徳田虎雄後・・・

一般社団法人徳洲会(東京都千代田区麹町4-6-8 ダイニチ麹町ビル2階)は、右も左も寄って集っていた政治家の金主元だった。
一般社団法人徳洲会が運営する病院は全国に62ヶ所、ブルガリアにも1ヶ所のほか、全国にクリニック・診療所や44ヶ所や介護施設など、病院・介護の巨大グループを形成している。

徳洲会病院関係一覧  ヶ所
病院
62
 内訳
 
  北海道
6
  東北
5
  北関東
11
  南関東
9
  関西・中国
8
  大阪・四国
7
  北九州
4
  南九州
4
  鹿児島離島
8
海外、ブルガリア病院
1
クリニック・診療所
44
老人保健施設
37
特別擁護老人施設
19
有料老人施設・ケアハウス
26
グループホーム
36
訪問介護ステーション
29
デイサービス等介護事業所
72
そのた福祉施設
9
所在地は重複あり。
全国延総施設数:335の病院・介護・福祉施設。
 
公職選挙法違反容疑で幹部6人が逮捕された医療法人「徳洲会」グループと、創設者の徳田虎雄前理事長(75)の次男・毅衆院議員(42)=自民党を離党、鹿児島2区=の政治資金管理団体「徳田毅政経研究会」が2012年、少なくとも国会議員97人の政治団体に献金やパーティー券購入、貸付金の形で計1282万円を提供していた。政治資金収支報告書の分析でわかったと毎日新聞により報道されている。
しかし、パー券購入など、たかが知れた金額であり、マスコミが大騒ぎする必要もない。以前、JC-NET記者が大手ゼネコンの下請け・孫請けをしていて、半強制的に割り当てられてくるパー券を何十枚・何百枚購入してきたことか。
 パー券購入ぐらいで、自民党を乗っ取ると関係者に述べていたという毎日新聞の記事は、虎雄前理事長(75)にあっては、後先のない病状の身、気が狂わない限り、そこまで大それたことは言うまい。
しかし、郷土の保岡議員との軋轢や、虎雄氏の議員時代、過去の自民党に潰されたのも事実であり、その怨念は確かに存在しよう。
 
<徳田虎雄 医療と政治>
徳田虎雄は、郷里徳之島で不遇の少年時代を送り、1975年に大阪府松原市に徳田病院を開設以来、各地に病院展開し、24時間救急患者を受け入れる、患者からの贈り物は一切受け取らない、差額ベッドの廃止などのそれまでの医療の常識を打ち破る特異な方針を打ち出してこれを実行してきた。
全国の医療機関に大きな影響を与えたが、一方で地方自治体や利権組織の医師会とたびたび対立した。それでも「生命(いのち)だけは平等だ!」をスローガンに安心して療育できる環境作りを目指し、全国各地に病院や診療所を開設してきた。
 
虎雄は、医療制度改革には、政治改革が必要との強い信念を抱くに至り、政治家を目指した。昭和58年と昭和61年の衆議院総選挙に鹿児島県奄美群島選挙区から立候補し、後に法務大
臣となった保岡興治(親が元衆議)の前に落選。このときの選挙戦は、選挙違反による逮捕者が続出するなど島を二分する激しい対決となり、「保徳戦争」と呼ばれた。
平成2年の衆議院総選挙に無所属で初当選、政策集団「自由連合」を結成した。平成5年の衆議院総選挙では、選挙直前に自民党に入党し、再選を果たした。しかし、利権集団である日本医師会の意向によりわずか3日で追放された。
その後、平成6年に「自由連合」を政党化、代表となった。村山改造内閣では与党入りして沖縄開発政務次官を務めた。
平成8年の衆議院総選挙で落選したが、平成12年の衆議院総選挙で復活を果たし、平成15年の衆議院総選挙でも再選された。
平成17年8月8日の衆議院解散をうけ、平成14年頃に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、体調回復が十分でないとして、政界を引退すると発表した。後継として平成17年9月11日の衆議院総選挙に次男の徳田毅が立候補して当選を果たした。
 
日本の硬直した医療行政は、日本医師会と厚労省の体質と本質にある。それも徳田により、また小泉改革で瓦解しそうになったが、現在では元の木阿弥となっている。
しかし、遅々として進めない医療行政もグローバル化の大波から、大幅な改革を迫られているのも事実だ。
 
徳田が狙った貧富の差をなくした地域医療、殿様商売を駆逐して地域医療を崩壊させた小泉改革、一見して、まったく異なった動きであるが、改革という点では表裏一体となったものであった。
小泉行革断行により、過疎化した医療地域に、徳洲会病院が進出していたったことも周知の事実である。
 
今回、徳洲会病院が、医師会含む政権とマスコミの大連呼により解体されようとしているが、その隙を与えているのは、改革病院の名の下に徳洲会病院を徳田一族が、虎雄が私物化していることにほかならない。また、虎雄なき後、徳州会病院を率いる器の一族も見当たらない。
徳洲会病院が、医療を通じた単なる金儲け集団であっては、医師会および行政当局の思う壺であり、また、虎雄の度を過ぎた野心的な動きも、医師会=政権、マスコミ連合に当然狙い撃ちされる。岩手の政治家が長期にわたり寄って集って潰されたように。
 
<猪瀬都知事の件>
なお、共同通信は、猪瀬都知事の5千万円頂き事件について、2013年11月24日次のように報じている。
東京都の猪瀬直樹知事が医療法人「徳洲会」グループから5000万円を受領していた問題で、猪瀬知事と徳田虎雄前理事長の面会を仲介した政治団体「一水会」(新右翼団体)の木村三浩代表(57)が24日(共同通信の)取材に応じ、面会後に(虎雄氏が)虎雄氏の次男徳田毅衆院議員に電話で「選挙はいろいろお金が掛かるから応援してやってくれ」と、知事への資金提供を依頼していたと明らかにした。木村氏によると、金額などはその後、「徳田議員と虎雄氏で決めた」という。と報じている。
信州の教師の息子で、たかだか作家であった猪瀬氏もいろいろ付き合いが広くなったものだ。
[ 2013年12月 2日 ]
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