アイコン 続、山口組分裂 13団体「神戸山口組」を発足か

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田岡時代からの長老が年齢的にすでに亡くなり、意見調整役・仲裁役・ご意見番が不在、名古屋の発言が絶対視され、今回、それに反発した離脱だろう。

5 代目就任に当たっても、4代目山口組若頭・渡辺芳則(山健組)を支持するグループと、4代目山口組組長代行・中西一男(中西組・大阪ミナミ)を支持するグ ループが対立したが、直接両者が話し合い、中西一男が山口組最高顧問に雌雄人することで落着、渡辺芳則組長が誕生した経緯がある。ただ、両者ともすでに故 人。

山健組4代目組長の井上邦雄、山口組6代目の司忍組長ともに大分県出身。

 

山口組総本部で27日、幹部による緊急会合が開かれたが、山健組幹部らは欠席。山口組は直系組織74団体のうち山健組など13団体の絶縁・破門処分を決めたとみられ、9月1日には総本部で幹部らが集まる定例会が開催され、処分が言い渡される予定とされている。

山口組は、代々関西を地盤とする最高幹部が運営の実権を握ってきた。だが、平成17年7月に篠田建市組長が6代目に就任し、出身母体の弘道会から高山清司受刑者を若頭に登用。山口組の歴史上初めて同一組織で、さらに「非関西」の出身者がナンバー1、2に就いていた。

大 阪府警関係者は 「名古屋に重きを置いた体制を敷く6代目に反発する者が、我慢の限界を超えたということだろう」と分裂の背景に「名古屋支配」への不満が 鬱積していたとの見方を示、「山口組は神戸発祥だが、名古屋に軸を移すという話も出ていたと聞く」、「脱退派への切り崩し攻勢は強まるだろう」と今後の展 開を懸念しているとされる。

 山口組は戦前、神戸の一暴力団組織にすぎなかったが、終戦直後に田岡一雄組長が3代目に就任すると、港湾労働や芸能の実業を伴い、全国進出を本格化させ、勢力を拡大した経緯がある。

日本最大の指定暴力団山口組(総本部・神戸市灘区、構成員など約2万3千人)は、以前は4万人以上の構成員がいたとされるが、警察の取り締まり強化による解散や離脱で今では半減している。

以上、

山口組情報局
http://takabeya.com/?page_id=487

[ 2015年8月28日 ]
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