アイコン 回顧録「日刊セイケイ斯ク戦ヘリ」プロローグ・「おじや」。⑪

2016年、4月15日以降に発生した、熊本県を震源とする地震により亡くなられた方々に謹んでお悔やみ申し上げますとともに、被災された多くの 皆さまに心よりお見舞い申し上げます。また、今尚、避難生活を余儀なくされている6万人を超える人達が1日も早く通常の生活に戻れるよう心から祈念いたし ております。

回顧録「日刊セイケイ斯ク戦ヘリ」の日刊セイケイ誕生までの長~いプロローグを思い出すままに書いています。その⑪

0425_03.jpgどんな手を使ってでも子息、宮島大典氏を国会議員にするんだ、という宮島組合長の決意には並々ならぬものがあった。

実際、この時に宮島組合長が大典氏を金 子氏の後任として長崎4区の公認候補に決定するまでに使った金は3000万とも5000万ともいわれていた。翌年、平成10年2月の補選で当選するまでに 宮島組合長が子息・大典氏のために使った金額は軽くみても1億円は下らないとも噂されていた。
 

 吉井町の竹ずしの駐車場で宮島組合長が乗る黒の日産プレジレントを見送ってから、私達はひとまず、春光会長が組合長を務める吉井町にある吉井農業協銅組合に立ち 寄った。それから私が春光会長の白いクラウンを運転して江迎町の山の奥にある中村家に向かった。

春光会長は私が運転する助手席に座り、牛右衛門の話やら、中村家の先祖が岡山県から来た頃の話やら、色々と楽しい話、面白い話しをしてくれた。博識で苦労人でもある春光会長の話は含蓄があり聞いてるだけで勉強になった。だが、宮島大典氏の話題には一切触れなかった。それが宮島組合長への春光会長の今日の返事だったんだろうと私は勝手に思ったもんである。
 
民家車が江迎町の赤坂付近まで来た時だった、春光会長が「中山君、庄屋で「おじや」でも食べていかんね、ここの「おじや」は美味かぞ」。っと言ってくれた。

ここの庄屋こそ、現在、九州全土に広がる庄屋チェーン、牛右衛門グループ発祥の伝説の店である。

春光会長自らがあちこちから集めてきたという古民具や調度品が店の雰囲気に自然に調和された何とも味わい深い店である。

春光会長は鯉の彫り物の自在鈎が釣るしてある囲炉裏の席に座ると「おじや」を注文した。この「おじや」の味がまた何とも美味かったのを今でも忘れられない。

春光会長を 自宅まで送り、挨拶をして帰りぎわに春光会長は「中山君、知事選に西岡さんが出る可能性はまだある。今月か来月頃、高田知事も松田先生と一緒に西岡さんの知事選出馬の要請に東京まで行って来るそうだ。西岡出馬の可能性はまだまだある。しかし、10月末までに出馬表明せんばだめばい。それまでは迂闊に動かんがよか」。と、春光会長が真剣な顔つきで言ったことをを思いだす。

だが西岡氏は当時、新進党の幹事長をしており、党のゴタゴタが続いていた。結局、西岡氏が10月までに知事選出馬の表明をすることはなかった。西岡氏が知事選出馬を表明するのは年が明けた平成10年1月中旬頃になってからである。「日刊セイケイ・中山小六(洋二)」

[ 2016年4月25日 ]
 

 

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