アイコン 回顧録「日刊セイケイ斯く戦ヘリ」選挙運動の量が受注総額に比例する。⑰

選挙運動の量が受注総額に比例する。

金子げんじろう西岡公男氏とグランドホテル長崎で別れてから、私とSは五島町にあった喫茶店「らくだ」に向かった。今後の相当に不利な選挙戦に対しての心構えの確認でも あった。店内に入ると金子陣営に動員されている土建業界の業界人数人がローラー作戦の合間の暇つぶしなのか静かにコーヒーを飲んでいた。
長崎の土建業界の両雄といわれていた西海建設グループと㈱上滝は競うように金子選対に従業員を動員し、ポスター貼りからビラ配りまでローラー作戦を県内の隅々まで展開していた。
それはそのまま金子県政発足後の県発注工事の受注に影響するとあっては本業よりも重点を大きくするというのが営業の一環だった。まさに選挙運動の量が受注総額の増額に比例すると言って憚らなかった。

 私とSは業界人に軽く会釈をして、奥のテーブル席に座りコーヒーを注文した。
敵と味方が同じ喫茶店でコーヒーを飲む、呉越同舟という奴である。

長崎市内の土建業界で西岡派と旗幟を鮮明にしていたのは主なところで親和土建と長崎土建くらいなものであった。親和土建といえば初代社長、林田達馬氏が大 正10年(1921)に創業、当時でも80年近い歴史があった長崎の土建業界では老舗中の老舗だった。二代目社長、林田武氏は西岡武夫後援会の大幹部の一 人でもあった。民主党政権の平成22年(2009)9月、国土交通省港湾局長に就任した林田博氏(現在・新日鉄顧問)は二代目社長、林田武氏の長男であ る。親子三代に亘る西岡党として有名だった。
また、現在は複合型商業施設「ララプレイスあたご」になっているが、ちょっと前までは長崎っ子に親しまれたアイス・スケートリンクがあった愛宕の長崎スポーツセンターは親和土建が経営していたものだった。

自民党政経セミナーそれに鉄骨業界で時津町の岩永洋一郎氏が率いる岩永工業が西岡派として目立っていたが、如何せん多勢に無勢の感は否めなかった。ただ、少し心強かったといえば大手スーパーゼネコンの大成建設が唯一、西岡支援を鮮明にしていた事くらいであろうか。
 大成建設は文教族の西岡氏の影響力が圧倒的に強かった長崎大学での建築工事の7割が大成建設といわれるくらいに長崎大学の施設建設工事は大成建設にとって金城湯池ともいえた。

 それだけに大成建設は協力会を総動員して西岡支援で動いていた。それを証明するように金子原二郎氏が知事に就任してからは平成15年、橋本商会(橋本 寛)の了解を得て、長崎県立美術館を佐世保市の梅村組と企業体を構成し受注するまでの5年以上の間、長崎県発注の公共工事を大成建設が受注することはな かった。長崎県連方式という奴である。やっと受注できた、美術館工事も下請けから資材調達まで全てを仕切ったのが橋本商会(田端という専務が大活躍)だっ たというのは長崎県土建業界では知らない人まで知ってるという有名な話である。平成15年、その辺のくだりは日刊セイケイの当時の記録を基に詳細に書いていきたいと思ってる。それはまだこの時期から5年も先の話であるが。

「日刊セイケイ・長崎浪人・中山小六(洋二)」

[ 2016年5月 9日 ]
 

 

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