アイコン ユネスコ『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群申請どおり登録認証 8資産

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ユネスコの審査依頼機関のNGOイコモスが女人禁止の人も住んでいない沖の島の登録だけ認めるとしたが、日本政府は、ユネスコの委員各国を訪問し、一連の関連遺産群は切り離せない存在だと説得し、ユネスコの決定会議で各委員国の代表らが、日本からの申請の8資産は一連の資産だと表明し、申請どおり、登録が認可された。

イコモスが日本に難クセつけているのは、日本が南京大虐殺?の跡地をイコモスが認め、ユネスコに登録されたことに起因している。日本政府は遺産登録を政治利用すべきではないと問題提起、ユネスコへの拠出金の支払いを昨年留保し続けた(結果、政治との分離を図ることで決着、支払っている)。しかし、今年も悪巧みの韓国と中国が結託して慰安婦の遺品や関連書籍などを遺産登録しようとしており、今年もはっきりするまで拠出金の支払いを留保している。

南京大虐殺施設?を認めたことから日本政府からケチをつけられたイコモスであり、感情が先立ち、日本申請の沖ノ島で難クセの判断を行ったものと見られる。
南京大虐殺?の登録とそれを政治的に利用した中国、イコモス(カナダ)の信頼は大きく毀損したものと見られる。以下、報道

 ポーランドで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会は7月9日、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」(福岡県宗像市、福津市)について、日本が推薦していた全8資産の登録を決めた。

宗像市の沖ノ島と三つの岩礁に加え、本土の宗像大社辺津宮など諮問機関から除外勧告を受けていた4資産も逆転登録。古代祭祀遺跡が残る沖ノ島と現在まで続く宗像大社信仰の一体的な価値が評価された。12日に世界遺産一覧表に記載される。

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 登録が決まったのは、
宗像市の宗像大社、沖津宮(沖ノ島と小屋島、御門柱、天狗岩)
沖合10キロの大島にある同大社中津宮と沖津宮遥拝所
本土の同大社辺津宮
福津市の新原・奴山古墳群
の8資産。

 沖ノ島では、4〜9世紀に航海の安全を祈る祭祀が行われた。朝鮮半島、中国製の装飾具など約8万点の出土品は全て国宝に指定され「海の正倉院」と呼ばれる。
沖津宮、中津宮、辺津宮には宗像三女神をそれぞれ祭り、古墳群は祭祀を担った宗像氏の墓とされる。

 9日の議論で委員国は、東アジアとの交流を示していることや出土物の考古学的価値などを高く評価。その上で「全8資産は文化、歴史的に切り離せない」「宗像三女神の信仰が今の宗像の人々にまで続いている」などとの意見が相次ぎ、日本の主張通り全8資産での登録で一致した。
以上、報道参照

年に2回、参道の先で太陽が玄界灘に沈む宮地嶽神社も境内の古墳から大刀が出土するなど歴史があり、地元でも宗像大社と共に大きな神社。しかし、宗像氏との関係はなく、申請もされなかったのが残念。

宗像大社は、伝えられる伝承では日本神話に起源を持つ。天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の際、天照大神が素戔嗚の剣を噛み砕き、プッと吹き出した破片から生まれたのが宗像(胸形)三女神を祭った神社。交通・海洋交通の神様として知られ、宗像市出身の出光の創業者との関係は今も社員研修に宗像大社が毎年利用されるなど続いている。

そうした出光の企業文化が、昭和シェルとの合併では大きく損なわれるとして出光創業家は合併に反対しているもの。
正月の3社参りでは道路事情も悪く、大社まで長時間かかる。通常はJR日の里駅(鹿児島線)から10~15分程度。

伊勢神宮・出雲大社と共に道主貴(3ヶ所しかない)。裏伊勢神宮ともいわれている。
福津市の辺鄙なところに八咫烏伝説の神社もあり、一帯が近畿とかかわりがあるようだ。元々八咫烏は神武天皇が九州から近畿へ東征した時に道案内したカラス(JFAの紋章のカラス)。

ということで創建年代は不明。
 

[ 2017年7月10日 ]
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